Yasujiro Ozu

小津安二郎(Ozu Yasujiro)/日本(Japan)

1920年代~1930年代
※1927年「懺悔の刃」~1936年「大学よいとこ」までサイレント映画
1936年「鏡獅子(記録映画)」※トーキー第一作・24分
1936年「一人息子」白黒87分
1937年「淑女は何を忘れたか」白黒75分
1940year
1941年「戸田家の兄妹」白黒105分
1942年「父ありき」白黒94分
1947年「長屋紳士録」白黒71分
1948年「風の中の牝」白黒84分
1949年「晩春」白黒108分
1950year
1950年「宗方姉妹」白黒112分
1951年「麦秋」白黒125分
1952年「お茶漬の味」白黒116分
1953年「東京物語」白黒136分
1956年「早春」白黒144分
1957年「東京暮色」白黒140分
1958年「彼岸花」[カラー118分]
1959年「お早よう」[カラー94分]
1959年「浮草」[大映・カラー119分]
1960year
1960年「秋日和」[カラー128分]
1961年「小早川家の秋」[宝塚映画・カラー103分]
1962年「秋刀魚の味」[カラー113分]
1963年12月12日満60歳没

小津安二郎
小津安二郎監督

1923年(大正12年)の夏に松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社する。撮影技師の碧川道夫や酒井健三らの下につき、監督では島津保次郎や牛原虚彦について映画製作を学んだ。二度の徴兵を経験し、1927年に松竹時代劇部が京都に移転し蒲田撮影所は現代劇に特化する体制を取り、1927年「懺悔の刃」で映画監督デビューする。その後1936年「大学よいとこ」までサイレンと映画を製作し、初のトーキー映画を1936年に「鏡獅子(記録映画)」で製作する。
小津安二郎監督の特徴の一つに「ロー・ポジション」が挙げられる。低い位置から撮られた映像は、日本家屋での座り芝居を見せることに好都合で、同じ構図のショットを繰り返す事が、見るものに心地よい安定感を与える事になった。よく混同されるが、「ロー・ポジション(ロー・ポジ)」は「ロー・アングル」と同義ではない。前者はカメラの位置を下げることで、後者はカメラの仰角を上げる(アオル)ことを指している。小津はカメラをほとんどアオらなかった。カメラを低い位置にすえて、ごくわずかにレンズを上にあげていた。基本的にはカメラを大人の膝位置より低く固定し、50ミリの標準レンズでとった。
小津はすべての場面において、カメラの位置を必ず自身で設定した。スタッフは「ロー・ポジ」用に特別に極低の三脚を作り、小津の好きな赤に塗って「カニ」と呼んだ。(「カニ」は金属製、それ以前に用いられた木製のものは「おカマの蓋」と呼ばれていた。)
没後ヨーロッパを中心に小津作品への評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとして著名な映画監督、評論家たちも小津映画への賞賛をするようになった。現在では国際的に支持される日本の映画監督の一人となっており、「東京物語」はヨーロッパで特に人気が高い。
ジャン=リュック・ゴダール監督は自身の作品である映画史において古今東西の膨大な監督に言及しているが、日本人監督としては溝口健二・大島渚・勅使河原宏と並んで小津安二郎の四名だけを取り上げている。
またドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督は「東京画」で小津安二郎監督にオマージュを捧げている。

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