Sergio Leone

セルジオ・レオーネ(Sergio Leone)/イタリア(Italy)

1960year
1961年「ロード島の要塞(IL COLOSSO DI RODI/THE COLOSSUS OF RHODES)」
1964年「荒野の用心棒(PER UN PUGNO DI DOLLARI/A FISTFUL OF DOLLARS)」
1965年「夕陽のガンマン(PER QUALCHE DOLLARO IN PIU/FOR FEW DOLLARS MORE)」
1966年「続・夕陽のガンマン(IL BUONO, IL BRUTTO, IL CATTIVO/THE GOOD, THE BAD AND THE UGLY)」
1968年「ウエスタン(C’ERA UNA VOLTA IL WEST/ONCE UPON A TIME IN THE WEST)」
1970year
1971年「夕陽のギャングたち(GIU LA TESTA/DUCK,YOU SUCKER)」
1984年「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(C’ERA UNA VOLTA IN AMERICA/ONCE UPON A TIME IN AMERICA)」
※1989年4月30日満60歳没

セルジオ・レオーネ
セルジオ・レオーネ監督

セルジオ・レオーネの父親は黎明期のイタリア映画界で活躍した映画監督のヴィンチェンツォ(別名ロベルト・ロベルティ)、母親は元女優のエドウィジェであったレオーネは、幼い頃から映画を身近なものとして慣れ親しんだと言う。1946年に当時17歳のレオーネは、父親の反対を押し切って映画界入り、イタリア国内でイタリア人監督と映画を撮影中のアメリカ人監督の下で助手として働き出す。
父親の友人であった映画監督のマリオ・ボンナルドには特に目を掛けられ、レオーネは多くのボンナルド監督作品で助監督を担当することになる。また19歳の時に初めて映画の脚本を執筆している。
1950年代後半のイタリアは空前の歴史劇ブームを迎え、レオーネの監督デビュー作は1961年に公開された「ロード島の要塞」である。しかしイタリアの歴史劇バブルは急速に終焉し、同時にイタリアの映画産業自体も大打撃を受ける。この頃、レオーネはイタリアで公開された黒澤明の「用心棒(1961年)」に深い感銘を受け、1964年に「用心棒」を西部劇風に翻案した「荒野の用心棒」を監督する。「荒野の用心棒」は低予算での製作ながら本国イタリアのみならず世界的に大ヒットし、1960年代後半のマカロニ・ウェスタンブームの火付け役となった。

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