映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)

今回は若松孝二監督2007年製作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」をピックアップする。学生運動の終焉を象徴するこの事件が起きた時、テレビは連日通常番組をあさま山荘中継に切替え、人々は山荘を破壊する鉄球や実弾の銃撃戦に釘付けになった。この時、機動隊員が食べていたカップヌードルが連日全国に映り、CM効果となって爆発的な売れ行きと知名度を出したというエピソードもあった。当時の私は、学校を休んで連日TVを見ていた高校生だった。

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本作は相当な事実の調査を基に作られた内容で、若松孝二氏が“あさま山荘事件”を徹底検証して行く姿勢が滲み出ている。俳優陣もほとんどこの事件を知らない世代の人が演じているのにも驚くが、スタッフも含めてどの様に事件を理解し表現していったのかと・・・。やはり流石!若松孝二監督は凄かったに尽きる。

作品リスト

SDX900
SDX900

本作はDVCPRO50テープフォーマットのパナソニックビデオカメラSDX900で撮影したそうだ。HDではなくSD(※)である。DVDでの視聴はキツイかったが劇場ではどうなのだろう?映画「午前中の時間割(羽仁進監督)」の8mmを35mmにブローアップしたのを思い出す。しかしテーマが違う。限られた予算である事はプロダクションノートで知ったが、2007年当時の本作に限って言えば、内容が良いだけにピンク映画のノウハウを持ってフィルムで撮って欲しかった。

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【ストリー】
1960年6月15日、国会前は日米安保条約に反対する10万人のデモ隊で埋め尽くされた。
ベトナム戦争、パリの5月革命、文化大革命、日米安保反対闘争、世界がうねりを上げていた1960年代。学費値上げ反対運動に端を発した日本の学生運動 も、安田講堂封鎖、神田解放区闘争、三里塚闘争、沖縄返還闘争など農民や労働者と共に社会変革を目指し、勢いを増していった。活動家の逮捕が相次ぐ中、若者たちは先鋭化していく。ブントの内部対立によって組織された赤軍派と、中国の文化大革命に同調する神奈川の組織から分離独立した革命左派が、1971年7月、統一赤軍を結成。その一ヶ月後に名称を連合赤軍とした。
同年8月、連合赤軍最高幹部である永田洋子(並木愛枝)の命令により、逃亡した早岐やす子(田島寧子)と向山茂徳(黒井元次)が処刑される。数ヶ月後、革命に全てを賭け、山へと入っていった連合赤軍メンバーは、次第に総括、自己批判という名で同志たちを追いつめていく。
まず、指導部らに自己批判を求めた加藤能敬(高野八誠)と恋人の小嶋和子(宮原真琴)へ暴力による総括が始まり、1972年1月ふたりは死亡。永田に目を つけられていた遠山美恵子(坂井真紀)も総括によって死亡する。その後も、次々と同志を死に至らしめていくが、2月16日、榛名ベースが警察に見つかり、 山越えを開始。坂口弘(ARATA)、加藤倫教(小木戸利光)、加藤元久(タモト清嵐)、吉野雅邦(菟田高城)、坂東國男(大西信満)の5人は軽井沢のあ さま山荘に立てこもる。そして2月28日、山荘の周囲を警察や機動隊に囲まれてメンバーが達観したように言葉を交わす中、16歳の加藤元久が激昂して「僕たちは勇気がなかっただけじゃないか!」と叫ぶのだった……。

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題名:実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)
監督:若松孝二
脚本:掛川正幸
撮影:辻智彦
照明:大久保礼司
録音:久保田幸雄
音楽:ジム・オルーク
出演:坂井真紀、ARATA、地曵豪、並木愛枝、佐野史郎、奥貫薫、大西信満、中泉英雄、伊達建士、伴杏里、Na:原田芳雄
Fレコ:横浜シネマ・ヨコシネDIA(Arri Laser)
第58回ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)映画評論連盟賞(CICAE賞)
2007年日本・若松プロ+スコーレ/ビデオ・カラー190分SDビデオ
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [Blu-ray]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

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連合赤軍について幻の映画があった。題名は「雷鳴(吉田邦夫監督)」。
私は、世に出る事のなかった映画「雷鳴」に参加したスタッフの一人だ。
セカンド撮影助手時代に大変お世話になった中本憲政氏がカメラマンで、私は東洋シネマを退社しチーフ撮影助手(計測)成り立ての頃だった。
中本カメラマン快心のモノクロ作品なのでテスト撮影を連日行った。
フィルムはイーストマンコダックのプラスエックス(5231※)とダブルエックス(5222)、カメラはArriflex 35 BL。撮影部は連日ラッシュを東映化学工業現像所で見てコントラストがフラットな事に悩んだ。現像時間や温度を可変する特別作業を依頼したが中本氏の意図と外れた。そこで提案したのがスチールフィルムの使用だった。個人的に写真フィルムの現像焼付を行っていた私は、コダックパナトミックX(ASA32)という超微粒子フィルムを推奨し採用された。映画用と写真用フィルムのパーフォレーション(送り穴)は形状が微妙に違うのだが、市販されていた長尺巻(100Feet)を無謀にもArriflex 35 BLに装填した。90Feetで1分の撮影時間しかないからサード助手は大忙しだった。
再びラッシュを現像所で見てモノクロネガ撮影・カラーポジ上映が決定された。
こうして特性曲線が異様なカーブを見せる撮影設計が作られ、群馬県太田市でクランクインする。露出は1ステップ(1/3絞り)でコントラストを左右する超シビアな計測が要求された。この特異な撮影方法は他に例はないと思うが、残念ながら映画は資金不足から中断してしまった。誠に残念な1982年の出来事だった。

「雷鳴」以降も中本憲政氏に大変お世話になったが、2007年6月18日に不慮の事故で他界された。(享年55歳) 改めてご冥福を祈る。当時の撮影台本が見つかったので資料として以下に添付しておく。

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※SD=720X480 HD=1920x1080
※プラスエックスは2010年製造中止になった。ダブルエックスも同様。

【若松孝二監督作品主要リスト】
1963年「甘い罠」「壁の中の秘事」
1965年「情事の履歴書」
1966年「胎児が密猟する時」
1967年「犯された白衣」
1968年「腹貸し女」「復讐鬼」
1969年「狂走情死考」「処女ゲバゲバ」「ゆけゆけ二度目の処女」「現代好色伝 テロルの季節」
「やわ肌無宿」「男殺し女殺し・裸の銃弾」
1970年「性賊 セックスジャック」「新宿マッド」
1971年「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「天使の恍惚」
1975年「略称・連続射殺魔」「拷問百年史」
1977年「聖母観音大菩薩」
1978年「13人連続暴行魔」
1979年「餌食」
1982年「水のないプール」
1984年「スクラップ ストーリー ある愛の物語」
1986年「衝撃 パフォーマンス」
1989年「キスより簡単」
1990年「われに撃つ用意あり READY TO SHOOT」
1992年「エロティックな関係」「寝盗られ宗介」
1995年「Endless Waltz エンドレス・ワルツ」
1997年「明日なき街角」
1999年「飛ぶは天国、もぐるが地獄」
2004年「完全なる飼育 赤い殺意」
2005年「17歳の風景 少年は何を見たのか」
2008年「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
2010年「キャタピラー」
2012年「海燕ホテル・ブルー」「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」「千年の愉楽」