映画「市民ケーン」

市民ケーン市民ケーン
オーソン・ウェルズ

今回はオーソン・ウェルズ監督1941年製作「市民ケーン(CITIZEN KANE)」高評価作品sをピックアップする。
本作は、著作権保護期間が終了したパブリックドメイン(著作権が放棄されたもしくは消滅した映画)になった作品である。当時25歳だったオーソン・ウェルズの処女作であり、自ら製作・脚本・主演を務めた。過去と現在を交錯して描くという斬新な構成や、グレッグ・トーランド氏の撮影によるパンフォーカスの使用、ワンシーン・ワンショット撮影、広角レンズ・ローアングルの多用、極端なクローズアップなど、画期的な表現技術・撮影技術が駆使され、公開当時はその技術が革新的すぎるといわれたものの、映画史上最大の傑作として現在に至るまで非常に高い評価を得ている。

市民ケーン市民ケーン
ジョゼフ・コットン

【ストリー】
荒廃した壮大な邸宅の内で、片手に雪景色の一軒家のあるガラス玉を握り、“バラのつぼみ”という最後の言葉を残し新聞王ケーン(オーソン・ウェルズ)は死んだ。死後のケーンに与えられた賛否の声は数多かったが、ニュース記者トムスンは“バラのつぼみ”の中にケーンの真の人間性を解く鍵があると信じ彼の生涯に関係のある人々に会うことになった。ケーンが幼少の頃、宿泊代のかたにとった金鉱の権利書から母親が思わぬ金持ちになった。そのために彼は財産の管理と教育のため、片田舎の両親の愛の中から無理矢理にニューヨークに押し出された。やがて青年になったケーンはかねてから興味を持っていた新聞経営にのりだした。先ず破産寸前のインクワイアラー紙を買いとり友人の劇評家リーランド(ジョセフ・コットン)とバーンステインの協力を得て完全に立ち直らせた。さらに斬新で強引な経営方針と暴露と煽動の編集方針で遂にニューヨーク一の新聞に育てあげた。読者を楽しませるが決して真実を語らぬ彼の態度を友人は諌めるが、飛ぶ鳥も落とすケーンの勢いには全く通じなかった。世界第6位という財産をバックに報道機関をことごとく掌中にし、彼の権力はもはや絶対的なものになった。一方大統領の姪エミリー(ルース・ウォリック)をしとめるに至り知事から大統領への座は目前のものとなった。しかし圧勝を予想された知事選挙の数日前に、オペラ歌手スーザン(ドロシー・カミンゴア)との情事をライバルに新聞紙上で暴露され形勢を逆転された。それと同時に妻エミリーはケーンのエゴイズムに耐え切れず去っていった。離婚、落選という初めての挫折にケーンは狂ったようにスーザンに全てを集中した。彼女の素質も考えず巨大なオペラ劇場を建て自分の新聞で大々的に宣伝をしたが、それはかえって彼女を重圧から自殺未遂へと追いやってしまい、遂には彼女も去っていった。そして1941年孤独のうちにケーンは死んだ。トムスンの努力にもかかわらず“バラのつぼみ”の意味はわからなかった。彼の死後身辺が整理されおびただしいがらくたが暖炉に投げこまれた。そのなかの1つ幼少の頃に遊んだソリが燃えあがる瞬間、ソリの腹に“バラのつぼみ”の文字が現れた。

市民ケーン市民ケーン

題名:CITIZEN KANE
邦題:市民ケーン
監督:オーソン・ウェルズ
脚本:オーソン・ウェルズ、ハーマン・J・マンキーウィッツ
撮影:グレッグ・トーランド
美術:ペリー・ファーガソン
アート・ディレクター:ヴァン・ボスト・ボルグレイス
衣裳:エドワード・スティーヴンソン
特効:ヴァーノン・L・ウォーカー
編集:ロバート・ワイズ
音楽:バーナード・ハーマン
出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、ルース・ウォリック、ドロシー・カミンゴア、アグネス・ムーアヘッド、レイ・コリンズ、ジョージ・クールリス
1941年アメリカ/スタンダードサイズ・モノクロ119分35mmフィルム
市民ケーン [DVD]
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市民ケーン市民ケーン

【解説】
1938年10月30日に、H・G・ウェルズのSF小説「宇宙戦争」を翻案したラジオドラマ「火星人襲来」を手掛けたオーソン・ウェルズは、ドラマの中でフィクションの火星人襲来のニュースを挿入して、全米をパニックにさせて話題になっていた。そのウェルズの才能に目を向けたのが、当時経営難に遭っていたRKOであった。ウェルズは10万ドルの報酬と、製作・脚本・監督・主演俳優の決定権を委ねるという破格の待遇でRKOと契約を結んだ。ウェルズは最初の監督作品としてジョセフ・コンラッド原作の『闇の奥』の映画化に取り掛かるが、全編一人称カメラで撮影するという技術が難しいという理由で製作が中止された。その次に手掛けたのが「市民ケーン」である。この作品はハーマン・J・マンキーウィッツが書いた実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした構想を採用して、マンキーウィッツが脚本を書き、ウェルズとともに改訂を繰り返してシナリオを完成させた。
ウェルズは自らが主宰する劇団・マーキュリー劇団の俳優であるジョゼフ・コットンらを主要キャストに起用。音楽はウェルズのラジオドラマでも音楽を手掛けていたバーナード・ハーマンが、撮影は「嵐が丘(1939年)」でパンフォーカスの技法を実験的に試みていたグレッグ・トーランドが担当し、編集はロバート・ワイズが務めた。ウェルズ本人は監督・脚本だけでなく製作・主演も行った。
物語はウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした新聞王・ケーンが最期に残した言葉「バラのつぼみ(ローズバッド)」の謎を探るために新聞記者がケーンの過去を知る人々を取材していくうちに、ケーンの孤独で波乱な生涯が浮かび上がっていくというものだが、ハーストはこの内容が自分と愛人であるマリオン・デイヴィスを侮辱していると考え、映画の公開を阻止するために様々な妨害を行った。まず、ハースト系の新聞が作品を批判し、やがてウェルズ本人を批判し始め、「彼の舞台やドラマは共産主義的である」などと書きたてるようになった。さらにハーストの報復を恐れたMGMの重役はRKOにネガやフィルムを焼却させることを薦めたという。批評家や劇場も買収し、これによりハーストを恐れて上映を禁止する劇場も続出してしまった。
作品は1941年5月1日に封切られ、当時は批評家から高い評価を受けるも、妨害工作の影響で興業的には大失敗してしまう。
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞で年間最優秀作品賞を、第7回ニューヨーク映画批評家協会賞で作品賞を受賞するも、アカデミー賞では作品賞を含む9部門にノミネートされながら、脚本賞のみの受賞となり、授賞式では作品名が読み上げられただけでブーイングが起こる始末であった。
○オーソン・ウェルズ(George Orson Welles)1985年10月10日(満70歳没)
(参照:ウィキペディア)

1976年CM ニッカウヰスキー G&G 第三の男 オーソン・ウェルズ