映画「待つなジャンゴ引き金を引け」


アイヴァン・ラシモフ                                  イグナチオ・スパラ

今回はエドアルド・ムラルジア(エドワード・G・ミューラー)監督1967年製作「待つなジャンゴ引き金を引け(NON ASPETTARE, DJANGO…SPARA!)」をピックアップする。出演は「ガンマン無頼 地獄人別帖」のアイヴァン・ラシモフ、妹のメリー役は実妹のラーダ・ラシモフ、「オーウェルロックの血戦」「西部悪人伝」でペドロ・サンチェス名義のイグナチオ・スパラなどだ。


ヴィンチェンツォ・ムソリノ              ラーダ・ラシモフ

波乱万丈の生涯(ヴィンチェンツォ・ムソリノ)
本作の原案・脚本・製作に加え、ボンド役で出演しているヴィンチェンツォ・ムソリノは、1930年にイタリア南部のベネスターレで生まれた。地元の漁師として20歳まで働き、兵役でヴェネチアを訪れた彼は、映画監督レナート・カステラーニと運命的に遭遇。逞しい体躯と整ったマスクを気に入られ、彼が練っていた映画「2ペンスの希望(1952年)」の主役に抜擢されたのである。この作品は、職業が安定しない貧乏な男と、金持ちの娘との愛の葛藤を軸に、両者の交際に反対する家族を描いた純愛ストリーで、ヒロイン役を同作が映画初出演となる当時15歳のマリア・フィオーレが好演。同作は国内外で大ヒットを記録し、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞したのだった。しかし、いきなりスターダムに駆け上がったムソリノは、その後、10年以上にわたって映画出演を続けたが、ヒット作に恵まれなかった。そこで、方向転換を図って映画製作に目を向け、アンソニー・ステファン主演作「Perche uccidi ancra(1965年)」で、友人であった本作の監督エドアルド・ムラルジアと共に原案・脚本を執筆し、製作も担当。以降、本作を含む作品の脚本家・製作者としてキャリアを重ね、本作でバリカを演じたイグナチオ・スパラも出演した「Chiedi perdono a Dio…non ame(1968年)」で監督デビューほ果たした。ところが、監督2作目の「Quintana」が公開された1969年の自身の誕生日、ムソリノは39歳という若さでこの世を去ってしまう。死因は心臓発作であった。(マカロニウエスタン傑作DVDプロダクションノートより)

【ストリー】
ジャンゴの父が乗った馬車が強盗団に襲われ、金が奪われる事件が発生。その息子のジャンゴ(アイヴァン・ラシモフ)は、妹のメリー(ラーダ・ラシモフ)と叔父が住む家を訪れると、銃を手にしてすぐさま立ち去った。父の復讐と金の奪還を誓ったジャンゴは、実行犯で強盗団の一味ナヴァロ(シーザー・オヒナガ)の居所を突き止め、彼と子分らを射殺。その場面を見ていたバリカ(イグナチオ・スパラ)という男がジャンゴに協力し、奪われた金の在り処を共に探す事となった。一方、手下を殺された強盗団のボスであるアルヴァレス(ジーノ・ブッツァンカ)は、ジャンゴの命を狙うべく、殺し屋を呼び寄せるのだった……….。


セウソ・ファリア                   シーザー・オヒナガ 

題名:NON ASPETTARE, DJANGO…SPARA!
邦題:待つなジャンゴ引き金を引け
監督:エドアルド・ムラルジア(エドワード・G・ミューラー)
製作:ヴィンチェンツォ・ムソリノ
脚本:ヴィンチェンツォ・ムソリノ(グレン・ヴィンセント・ディヴィス)
撮影:ヴィタリアーノ・ナタルッチ
編集:エンツォ・アラビソ
音楽:フェリチェ・ディ・ステファーノ
出演:アイヴァン・ラシモフ(ショーン・トッド)、イグナチオ・スパラ(ペドロ・サンチェス)、ラーダ・ラシモフ、ジーノ・ブッツァンカ、ヴィンチェンツォ・ムソリノ(ビリー・ジャクソン)、フランコ・ペシ、シーザー・オヒナガ、セウソ・ファリア
1967年イタリア/シネスコサイズ・カラー88分35mmフィルム [日本劇場未公開]
マカロニ・ウェスタン傑作映画DVDコレクション 51号 2018年 3/25号 [分冊百科]
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待つなジャンゴ引き金を引け(NON ASPETTARE, DJANGO…SPARA!)

待つなジャンゴ引き金を引け(NON ASPETTARE, DJANGO…SPARA!)

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