映画「白昼の大列車強盗」


エンリコ・マリア・サレルノ、アンソニー・ステファン        マーク・ダモン

今回はマリオ・カイアーノ(ウィリアム・ホーキンス)監督1967年製作「白昼の大列車強盗(UNO TRENO PER DURANGO)」をピックアップする。出演は「荒野の死闘」「荒野のプロ・ファイター」のアンソニー・ステファン、「皆殺し無頼」「リンゴ・キッド」「荒野の死闘」のマーク・ダモン、舞台出身の演技派俳優エンリコ・マリア・サレルノ、「続・荒野の用心棒」のホセ・ボダロ、「さすらいのガンマン」のアルド・サンブレル、「情無用のジャンゴ」のロベルト・カマルディエルなど。

脚本:ドゥッチオ・テッサリの真相
本作の脚本としてクレジットされているのは、監督のマリオ・カイアーノ、ホセ・グティエレス・マエッソに加え、監督・脚本を手掛けた「夕陽の用心棒(1965年)」でジュリアーノ・ジェンマをトップスターに押し上げたドゥッチオ・テッサリの三名。しかし、「禿鷹のえさ(1965年)」「続・荒野の1ドル銀貨」「キスキス・バンバン(1966年)」などの脚本をテッサリと共に執筆し、「嵐を呼ぶ男 スリム」などの脚本家として知られるフェルナンド・ディ・レオは、本作のシナリオを書き上げたのは、自分とアヴグスト・カミニートであると主張している。ディ・レオによると、当時のテッサリには温めていた別の映画の構想があり、その資金集めに苦労していた。そこで古くからの友人であるディ・レオに「白昼の大列車強盗」の原案とも言える粗原稿を託して脚本家を依頼。ディ・レオはこれに応え「拳銃無頼」「星空の用心棒(1967年)」などを共同執筆したカミニートに協力を要請し、脚本を完成させた。するとテッサリは、両者から手渡された原稿に目も通さずに、本作の製作陣にそのまま売却し、自らが構想していた作品の製作資金を得たというのだ。締め切りまでわずか1週間、しかもノーギャラで仕事を引き受けたディ・レオとカミートは、クレジットされなかった訳だが、当時のイタリアでは同様の事が珍しくなかったという。ちなみに、本作で得た資金でテッサリが何の映画を撮ったのかは定かではない。
(マカロニウエスタン傑作DVDプロダクションノートより)


ホセ・ボダロ、ロベルト・カマルディエ               アルド・サンブレル

サッカー選手だった”メキシコ軍の大尉”
本作でメキシコ軍の大尉を演じたアルド・サンブレルは、1931年にスペインのマドリードで生まれた。スペイン内戦後の混乱を避け、12歳でメキシコに移住したサンブレルは、やがてプロサッカー選手としてメキシコの一部リーグで活躍。1959年にはスペインへ凱旋し、CDアルコヤーノ、ラーヨ・バジェカーノなどでプレーしたのである。現役引退後、歌手を目指したが断念し、俳優となる事を決意した彼は、1961年「キング・オブ・キングス」で俳優デビュー。「Tres hombres buenos(1963年)」を皮切りに、「荒野の用心棒(1964年)」「夕陽のガンマン(1966年)」などを含む約60作のマカロニ・ウエスタンで主に悪役を演じた。テレビドラマを含めて7作を監督したサンブレルは、出演作「さすらいのガンマン(1966年)」のセルジオ・コルブッチ監督について「素晴らしい監督だ。コミュニケーション能力に優れ、役者の緊張感を上手く解す術を持っていた。製作会社ら無断で撮影を切り上げ、現場の全員で闘牛を見に行った事もあったよ」と語っている。46年間に及ぶ俳優人生で150作以上の映像作品に出演したサンブレルは、2003年に自叙伝を出版。2010年に他界した。
(マカロニウエスタン傑作DVDプロダクションノートより)

【ストリー】
石油やプラチナの採掘など一攫千金を求めて放浪するグリンゴ(アンソニー・ステファン)とルカ(エンリコ・マリア・サレル)が乗り込んだ列車で、革命軍による襲撃事件が発生。車内に積まれていた金庫が強奪された。その騒ぎの中、グリンゴとルカは殺された男の死体から金庫の鍵を手に入れる。金になると踏んだ二人は、接触した革命軍のボス(ホセ・ボダロ)に取り引きを持ち掛けるが、鍵を渡すよう拷問を受けてしまう。そこに謎の紳士ブラウン(マーク・ダモン)が現れ、革命軍に向けて機関銃を連射。絶体絶命のグリンゴらを救うのだった………。


ドミニク・ボシェロ                        マーク・ダモン

題名:UNO TRENO PER DURANGO
邦題:白昼の大列車強盗
監督:マリオ・カイアーノ(ウィリアム・ホーキンス)
製作:ビアンコ・マニーニ
脚本:マリオ・カイアーノ、ドゥッチオ・テッサリ、ホセ・グティエレス・マエッソ
撮影:エンツォ・バルボーニ
編集:レナード・チンクィーニー
音楽:カルロ・ルスティケリ
出演:アンソニー・ステファン、マーク・ダモン、エンリコ・マリア・サレルノ、ドミニク・ボシェロ、ホセ・ボダロ、ロベルト・カマルディエル、アルド・サンブレル、マヌエル・ザルゾ
1967年イタリア・スペイン/シネスコサイズ・カラー96分35mmフィルム[日本劇場未公開]
マカロニ・ウェスタン傑作映画DVDコレクション 50号 2018年 3/11号 [分冊百科]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


白昼の大列車強盗(UNO TRENO PER DURANGO)

白昼の大列車強盗(UNO TRENO PER DURANGO)

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映画「荒野のドラゴン」

荒野のドラゴン
チェン・リー(早川明心)

今回はマリオ・カイアーノ監督1973年製作「荒野のドラゴン(SHANGHAI JOE)」をピックアップした。
本作は日本人格闘家・俳優の早川明心氏が中国名チェン・リーと名乗り主演しているカンフー・マカロニウエスタンである。この主人公は銃を手にしない。空手アクションのみで銃を持った敵を西部を放浪しながら倒すという設定だ。共演に「夕陽のガンマン」「群盗荒野を裂く」のクラウス・キンスキーなど。

日本人唯一の”マカロニ・ウエスタン主演俳優” 早川明心
本作の主演を務めたチェン・リーは、早川明心という名の日本人である。1939(昭和14)年、愛知県の寺の子として生まれた明心は、幼年期より住職の父による厳しい仏教の修行を受けて育った。愛知大学に進んだ明心は、強くなりたい一心で空手部に入部。辛い練習に耐えて頭角を現し、3年生時には東海学生空手大会の個人優勝を達成。黒帯八段となった明心は、1966年、英国空手道連盟の指導員としてロンドンに渡り、英語に苦労しながらも4年間、指導員を務める事となる。当時の生徒は「文化違いに理解があり、寛大に指導してくれた。チャーミングで人生を楽しむ人だった」とコメントしている。
そして1972年、ロンドンからローマへと移動していた明心のもとに、イタリア空手道連盟経由で本作への出演依頼が届いたのである。マリオ・カイアーノ監督が「クリーニング屋で発掘してきた」と宣伝した”謎の東洋人チェン・リー”主演の本作は、予想を上回るヒットを記録。ヨーロッパ諸国で上映され、フランスでは何と、かのアラン・ドロンが上海ジョーの吹き替えを担当している。それでも明心は、渡欧の際の父との約束「寺を継いで住職になる」を守るべく、芸能界を退いて帰国したが、寺には入らず母校空手部で監督を務めていた。そして1979年、再びイギリスへ渡り、緩衝材・梱包材の生産会社を設立した明心は、約20年間かけてイギリス、ドイツ、イタリアに計5工場、従業員数250人、年商約40億円という大企業の社長となったのである。日本人で唯一、マカロニ・ウエスタンの主演を務め、実業家へと転身した明心は、2005年にこの世を去っている。
(マカロニウエスタン傑作DVDプロダクションノートより)

マカロニ・ウェスタン傑作映画DVDコレクション 45号 2017年 12/31号 [分冊百科]
※本稿は 2013年3月3日に公開した改定版です。


カーラ・ロマネリ                                           ピエロ・ルリ

“才女”カーラ・ロマネリの活躍
本作でクリスティーナを演じたカーラ・ロマネリは、1984年、映画監督ジョン・クラウザーとの結婚を機に女優業を引退。映画俳優組合の活動に尽力し、イタリア人俳優の海外窓口などを務めた事に加え「専門化、細分化、効率主義などの追及によって失われる人間の基本的価値やコミュニティをいかに再構築するか」を課題とするイタリア・アスペン研究所の設立に貢献する。またローマの語学学校で英語とロシア語をもう一度修得し直した彼女は、ブロードウェイで上演された演劇”Frankie and Johnny in the Clare de Lune”のイタリア語台本を執筆。夫が脚本を担当したドキュメンタリー映画をイタリア語に翻訳したほか、夫の経営するロサンゼルスの演劇学校でイタリア演劇史を、ローマの演劇学校ではロシア演劇史の講師として教鞭をとったのである。さらに近年は、画家としても活動している夫と共に、生まれ故郷であるイタリアのトスカーナとローマで民宿を経営、ツアーのアレンジも行っている。
(マカロニウエスタン傑作DVDプロダクションノートより)

荒野のドラゴン荒野のドラゴン
「荒野のドラゴン(SHANGHAI JOE)」

【ストリー】
凄腕の空手の名手ジョー(チェン・リー)は、テキサス行きの駅馬車にとび乗った。眼の前に開ける広大な西部の景観はジョーの心を踊らせたが、黄色い肌ゆえ に白人たちの風当りは凄まじかった。巨大な岩と砂塵、吹き荒ぶ原野をさすらうジョーが出あったのは、この地方一帯に君臨する悪徳ボス、スペンサー(ロバー ト・ハンダー)だった。一味は二十人あまりのメキシコ人を金で買い、殺しの標的にするゲームをやり始めたのだ。怒りにかられたジョーは彼らに素手で襲いか かり追い払った。ほとんど皆殺しにされていたが運よく一人の老人だけが助かった。医者を呼びにいったジョーはその帰り、スペンサーの手下に狙撃され、捕わ れの身となった。だが持前の空手技で難局を切り抜けた。スペンサーに命を狙われながら一人西部を行くジョーは一軒の廃屋に辿りついた。そこに若く美しいメ キシコ娘(カーラ・ロマネリ)が危険を告げにやってきた。娘はクリスチーナといい、ジョーが助けた老人の一人娘だった。その夜、廃屋で夜を過ごしていた ジョーとクリスチーナはスペンサーにやとわれた殺し屋に襲われたがジョーの神技ともいうべき闘術で見事倒した。さらに数日後、クリスチーナが高熱を出し、 ジョーは医者を求めて街へ出たが、ここでもスペンサー一味に命をつけ狙われた。酒場におびき寄せられたジョーは銃弾の雨を浴びたが、見事な跳躍で左右に身 をかわし、並いるガンマンたちを次々に倒した。ジョーがようやくクリスチーナのもとに帰ると、また新たな敵が待ち構えていた。数本の鋭い大型ナイフを持 ち、人を殺してはその頭髪を剥ぐという変質的な兇悪犯であるこの男はジョーの両足を射ち抜き、クリスチーナの美しい髪を切ろうとしたが、ジョーは強力な両 腕の技でこの変質漢を地獄に送り込んだ。野宿を重ねながらジョーとクリスチーナはメキシコへの旅を続けていた。一方、街ではスペンサーが新たな殺し屋を雇 い入れていた。それは、ジョーと同門の空手の名手ミクリヤ(ミクリヤ・カツトシ)で、かつて二人だけが師匠から免許を許されて以来宿命のライバルだったのだ。ジョーとミクリヤは村の中央にある広場で対決、互いに一歩もゆずらぬ鋭い技でしのぎをけずった。いずれが勝つか紙一重の息ずまった闘争は果てしなく続 いたが、ついにジョーはミクリヤを倒した。

荒野のドラゴン荒野のドラゴン
クラウス・キンスキー

題名:SHANGHAI JOE
邦題:荒野のドラゴン
監督:マリオ・カイアーノ
製作:レナート・アンジョリーニ、ロベルト・ベッシ
脚本:カルロ・アルベルト・アルフェリ、マリオ カイアーノ、ファブリツィオ・トリフォーネ・トレッカ
撮影:グリエルモ・マンコーリ
音楽:ブルーノ・ニコライ
出演:チェン・リー(早川明心)、クラウス・キンスキー、ミクリヤ・カツトシ、ピエロ・ルリ、カーラ・ロマネリ、ロバート・ハンダー、ゴードン・ミッチェル、ジョージ・ワン
1972年イタリア/テクニスコープ・テクニカラー89分35mmフィルム
荒野のドラゴン [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


「荒野のドラゴン(SHANGHAI JOE)」ミクリヤ・カツトシ、早川明心
※マカロニ・ウエスタンで唯一の日本人俳優同士の決闘シーン


「荒野のドラゴン(SHANGHAI JOE)」

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映画「荒野のプロ・ファイター」


アンソニー・ステファン          アレッファンドラ・ニーロ、アンソニー・ステファン

今回はマリオ・カイアーノ監督1966年製作「荒野のプロ・ファイター(RINGO IL VOLTO DELLA VENDETTA)」をピックアップする。本作は「荒野のドラゴン」のマリオ・カイアーノ監督、アンソニー・ステファンが日本でのデビュー作となっている。
出演は「嵐を呼ぶプロファイター」「荒野の棺桶」のアンソニー・ステファン「続・荒野の用心棒」「豹/ジャガー」のエドゥアルド・ファヤルド「暁の用心棒」「殺しが静かにやって来る」のフランク・ウォルフなどた。

“B級映画の帝王”の助言で国際スターとなったフランク・ウォルフ
本作でトリッキー・ファーガソンを演じたフランク・ウォルフは、30歳目前の1957年、テレビシリーズで俳優デビューを果たした。それ以降も中々役に恵まれなかったが、”B級映画の帝王”と称されるロジャー・コーマン監督の「IMobster(1959年)に出演した事が彼の運命を変える。コーマン監督の「Atlas(1961年)」のロケ地であったギリシャを訪れたウォルフは、監督の助言に従ってヨーロッパに拠点を移動。翌1962年には早くも、フランチェスコ・ロージ監督がベルリン国際映画祭で監督賞に輝いたイタリア映画「シシリーの黒い霧」の主演俳優として国際スターの仲間入りを果たしたのである。
その後もイタリアを拠点に「暁の用心棒1966年)」「殺しが静かにやって来る(1968年)「ウエスタン(1968年)」」といったマカロニ・ウエスタンの他、青春・犯罪・アクション映画などの多彩なジャンルで存在感を発揮したウォルフだったが、1970年代に入ると鬱病に悩まされるようになってしまう。彼が晩年に出演した「冷酷なる嘘(1971年)」のエンツォ・G・カステラッリ監督は「付き合っていた女性が離れていった事で、精神が崩壊してしまったようだ」と断言。1971年12月、ウォルフはローマのホテルで自らの命を絶っている。
(マカロニウエスタン傑作映画DVDプロダクションノートより)


アンソニー・ステファン、エドゥアルド・ファヤルド     フランク・ウォルフ

【ストリー】
1891年、ニューメキシコ。拳銃頼りに渡り歩く早射ちリンゴ(アンソニー・ステファン)と相棒の老人ティム(エドゥアルド・ファヤルド)はミルバーベルのホテルで、二度にわたって命を助けたメキシコ人フィデール(アルマンド・カルヴォ)の介抱をするうち彼の背中に地図の刺青が彫ってあるのを見つけた。それは砂金の隠し場所を記したものの半分で、もう一方は仲間のサムという男の背中にあるということだった。いよいよ砂金探しに出発という時、手下を従えた賭博師トリッキー(フランク・ウォルフ)が現われ仲間に加えろと脅迫してきた。四人はサムのいるサンルイの町へ馬を走らせたが、サムは今では保安官を勤めていた。その夜彼らはサム一味に小屋を急襲され逮捕されてしまった。明らかにサムの狙いはフィデールの背中の刺青であった。しかし策におぼれたサムは逆にリンゴの拳銃に倒されてしまった。さてこれで二枚の地図が揃い、欲に目のくらんだ四人の宝探しが始まった。国境を越えメキシコに入るとフィデールは山賊の一味と共謀してリンゴたちを襲った。しかし勝利はリンゴたちのもで、それまで一味にいためつけられていたそのアウグスチンの村人から感謝されるのだった。リンゴはその中で村人の迫害にあっている一味の男の妹マヌエラ(アレッファンドラ・ニーロ)を見て同行することにした。途中女癖のよくないティムはマヌエラを襲ってリンゴに殺され、トリッキーはニセ物の地図を持って消えた。リンゴとマヌエラはとうとう砂金の隠してある洞窟に辿り着いた。とそこには四人の手下を連れたトリッキーが待ち構えていた。彼はすでに正しい地図を暗記していたのである。激しい戦いの末トリッキーは砂金一袋もろとも岩壁の下へ落ちて行った。リンゴとマヌエラは残った砂金をアウグスチン村の人々に与えていずこともなく去って行った。

題名:RINGO IL VOLTO DELLA VENDETTA
邦題:荒野のプロ・ファイター
監督:マリオ・カイアーノ
脚本:エドゥアルド・M・ブロチェロ、マリオ・カイアーノ
撮影:ジュリオ・ドルタス
音楽:フランチェスコ・デ・マージ
出演:アンソニー・ステファン、フランク・ウォルフ、エドゥアルド・ファヤルド、アレッファンドラ・ニーロ、アルマンド・カルヴォ
1966年イタリア・スペイン/ビスタサイズ・カラー97分35mmフィルム
マカロニ・ウェスタン傑作映画DVDコレクション 35号 2017年 8/13号 [分冊百科]
2017年8月現在、DVDレンタルはありません。


アレッファンドラ・ニーロ、フランク・ウォルフ

荒野のプロ・ファイター(RINGO IL VOLTO DELLA VENDETTA)

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