映画「用心棒」

用心棒用心棒
三船敏郎

今回は日本が誇る巨匠黒澤明監督1961年製作「用心棒」高評価作品sをピックアップした。
本作はセルジオ・レオーネ監督1964年製作「荒野の用心棒」のオリジナル作品として有名だが、確かに大筋は同じだ。
本作の方が人物のディテールが描かれている。しかし三船敏郎VSクリント・イーストウッド、仲代達矢VSジャン・マリア・ボロンテは、キャラクターや演技で互角の良さがあった。むしろ日本の時代劇を西部劇にプロットだけを入れ替えて別の世界に到達させたセルジオ・レオーネ監督に軍配が上がったのではないかと思うが、本作は間違いなく高評価作品だ。

【解説】
「この映画(続編的存在の椿三十郎も)の最大の魅力は殺陣のシーンではなく、主人公の三十郎の特異なキャラクター設定にある」と黒澤本人は主張している。 それまでの時代劇の殺陣は、東映作品に象徴されるような従来の舞台殺陣の延長にあった。いわゆる「チャンバラ映画」である。
黒澤は、そうした現実の格闘ではあり得ない舞踊的表現を排除したリアルな殺陣の表現を探っていた(「羅生門」、「七人の侍」、脚本を書いた「荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻」)。
それは『用心棒』でひとつの完成形を見せ、当時の人々を驚かせた。本作の殺陣の特徴は、桑畑三十郎は相手を斬る際、必ず1人につき2度斬っていることであ る。「1度斬ったぐらいでは、すぐには死なないだろう」という黒澤と三船の考えにより完成した殺陣であるとのこと。一方で、仲代達矢演じる新田の卯之助 に、スコットランド製のスカーフを巻かせるなど、時代考証よりも登場人物の造形を優先させた演出も見受けられる。本作では『七人の侍』以来多用していた望遠レンズの効果が遺憾なく発揮され、殺陣をより効果的に見せており、油の乗り切った時期の黒澤の表現技法が見事に 結実していると言える。なお、撮影については無論、宮川一夫の存在が大きいが、マルチカム方式(複数のキャメラによる同時撮影)で撮影されている本作品で はクレジットされていないものの、斉藤孝雄の貢献も無視できない(完成作品には、斉藤の撮影分の方が多く使用されている)。
本作は、ダシール・ハメットのハードボイルド・アクション小説の影響が大きいことは黒澤本人が「用心棒は血の収穫ですよね?」という問いに「血の収穫だけ じゃなくて、本当はクレジットにきちんと名前を出さないといけないぐらいハメット(のアイデア)を使っている」と認めている(「黒澤明語る」より)。なお、「ある町にふらりと現れた主人公が、そこで対立する2つの組織に近づいて双方を欺き、最後には全滅させて去っていく」という、本作のようなアウトラ インは、多少の違いはあるものの他の東宝映画にも見受けられる。例としては本作の前年に公開されたギャング・アクション映画「暗黒街の対決」(1960年 岡本喜八監督)や、本作の9年後に公開された任侠パロディ映画「日本一のヤクザ男」(1970年 古澤憲吾監督)などが挙げられる。
今ではよく見られる演出だが、侍同士の対決シーンで、すれ違いざま刀を振り下ろし、いったん静止して片方が倒れて死ぬという描写や、効果音として刀の斬殺 音を使用したのは、本作が最初である。ただ、本作では最初の試みということもあって、音量は「椿三十郎」よりは控えめである。劇中の斬り落とされた手首 は、俳優としても出演している大橋史典が造形した。あまりのリアルさに、黒澤はそばに寄ろうともしなかったという。うしおそうじによれば、大橋は本作の撮 影風景を8mmフィルムに収めており、見せてもらったことがあるという 。劇中のつむじ風は、電動の風洞で起こす大がかりなものだった。宿場町の野外セットは、撮影所そばの広大な畑をつぶして建てたもの。ちょうど農閑期だった ので、春の種付けまで借りられたのである。続編『椿三十郎』でも、再びこの畑を借りて野外セットを組んでいる。
(参照:ウィキペディア)

用心棒用心棒

【ストリー】
馬目の宿は縄張りの跡目相続をめぐって一つの宿湯に二人の親分が対立、互いに用心棒、兇状特をかき集めてにらみ合っていた。そこへ桑畑三十郎という得体の 知れない浪人者がふらりとやって来た。一方の親分馬目の清兵衛のところにやって来た三十郎は用心棒に俺を買わないかと持ちかけて、もう一方の親分丑寅の子 分五、六人をあっという間に斬り捨ててしまった。清兵衛は五十両で三十郎を傭った。しかし女房のおりんは強つくばりで、半金だけ渡して後で三十郎を殺せと 清兵衛をけしかけた。これを知った三十郎はあっさり清兵衛の用心棒を断わり、居酒屋の権爺の店に居据った。両方から、高い値で傭いにくるのを待つつもりだ。名主の多左衛門は清兵衛に肩入れ、造酒屋の徳右衛門は丑寅について次の名主を狙っていた。そんなところへ、丑寅の弟卯之助が帰って来た。短銃を持っており腕も相当だった。三十郎は丑寅方につくことになった。丑寅の金の供給源である徳右衛門は、百姓小平の女房ぬいを妾にしていた。小平から博 奕の借金のかたにして取りあげてしまったのだ。小平と息子の金助の情ない様子を知って、三十郎は亥之吉をだまして親子三人を逃がしてやるのだった。権爺は そんな三十郎をだんだん好きになっていった。しかしぬいが感謝のために三十郎に出した手紙を卯之助にみつけられたため、三十郎は捕えられて土蔵に放りこま れた。ぬいの逃げ場所をはかせようと地獄の責苦がつづいた。ぬいの居所を知っているので殺されずにすんでいるのだ。三十郎はかんぬきをだまして墓地に逃れた。丑寅は卯之助の知恵で清兵衛の家に火をかけた。清兵衛一 味は全部殺された。喧嘩は丑寅の勝利に終った。そこへ三十郎がふらりとやって来た。卯之助が銃を構えるより速く三十郎の手から出刃が飛んだ。そして丑寅達 の間を三十郎が駆け抜けると、丑寅達は倒れていた。「おい親爺、これでこの宿場も静かになるぜ」と言って三十郎は去って行った。

用心棒用心棒
三船敏郎、仲代達矢                仲代達矢

題名:用心棒
監督:黒澤明
製作:田中友幸、菊島隆三
脚本:黒澤明、菊島隆三
撮影:宮川一夫
照明:石井長四郎
特機:大隅銀造
録音:三上長七郎
整音:下永尚
音効:三縄一郎
美術:村木与四郎
小道具:浜村幸一
衣裳:加藤昌廣
結髪:松本好子
殺陣:久世竜
振付:金須宏
剣技指導:杉野嘉男
記録:野上照代
編集:黒澤明
音楽:佐藤勝
現像:キヌタ・ラボラトリー
製作担当:根津博
助監督:森谷司郎
撮影助手:斎藤孝雄、木村大作
編集助手:兼子玲子
スチール:副田正男
出演:三船敏郎、仲代達矢、司葉子、山田五十鈴、加東大介、東野英治郎
映画賞:1961年ヴェネチア国際映画祭【男優賞】三船敏郎
1961年日本・東宝/シネスコサイズ・モノクロ110分35mmフィルム
用心棒 [Blu-ray]
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用心棒用心棒

映画「暗黒街の対決」

暗黒街の対決暗黒街の対決
三船敏郎                        鶴田浩二
暗黒街の対決暗黒街の対決
三船敏郎                 鶴田浩二、三船敏郎

今回は鬼才岡本喜八監督1960年製作「暗黒街の対決」をピックアップした。
本作は大藪春彦氏の同名小説を映画化したものだが、とてもテンポの良い編集が際立った作品である。三船敏郎と鶴田浩二という巨頭俳優の演技が安心するが、ハードボイルドとしては製作年度や銃器の扱いを差し引いてもおもしろかった。

暗黒街の対決暗黒街の対決
司葉子                  三船敏郎、北あけみ

【ストリー】
荒神市は暴力都市だ。暴力団大岡組と「荒神川砂利採取権」を持つ小塚組が争っていた。東京から刑事藤丘が市警察に汚職警官として左遷されてきた。着任早々、大岡組のキャバレーで乱闘騒ぎを起した。No.1の女給サリーを争ってだ。正義派の望月次席と警官三宅を憤慨させた。藤丘はかつて小塚組の幹部だった村山鉄雄を訪ねた。鉄雄の妻は大岡組の仁木にひき殺された。鉄雄が大岡と争って得た女だ。彼は復讐の機会を狙っていた。藤丘は仁木を探しにサリーのアパートへ行った。
大岡が待っていて、協力を求めた。藤丘は応じ、暴力行為で留置中の大岡の乾分を釈放した。大岡は市会を動かし、小塚組から砂利採取権を奪い、親分小塚をも殺し屋に射殺させた。鉄雄の弟分弥太を中心に、小塚組は砂利場に集結した。そこを大岡組がなぐりこんだ。弥太は駆けつけた鉄雄をかばって死んだ。全滅だった。乗りこんできた藤丘に鉄雄だけが救われた。翌朝、弁護士天堂につきそわれて自首してきたのは浮浪者ばかりだ。望月次席は怒りを藤丘にたたきつけた。藤丘は笑うばかりだった。暴力団狩りに派遣された野口警部と誰が知ろう。鉄雄は大岡の命を狙ったが、殺し屋に襲われ、仁木の死を知ったサリーの裏切りで逃げられた。藤丘は大岡に疑われ、鉄雄の隠れ家を教えた。
殺し屋がそこを襲った時待ち構えた鉄雄が皆殺しにした。彼はすぐ天堂らの手から藤丘を救った。望月次席は警視庁の命で藤丘救出に行き、そこで鉄雄を捕えようとした。大岡は監禁していたサリーを殺すため車を走らせ、追った三宅を射殺し、サリーを捨てた。大岡邸を警官隊が包囲した。鉄雄は車で飛びこみ、藤丘が止めたが、大岡を射殺した。藤丘は彼と向いあった。制止もきかず、鉄雄の拳銃が火を吹いた時、藤丘も撃っていた。鉄雄が倒れた。が、藤丘の的は鉄雄の背後で狙っていた天堂だった。鉄雄は天堂の弾で死んだ。

暗黒街の対決暗黒街の対決

題名:暗黒街の対決
監督:岡本喜八
製作:田中友幸
原作:大藪春彦
脚本:関沢新一
撮影:山田一夫
照明:西川鶴三
録音:渡会伸
美術:阿久根巖
編集:黒岩義民
音楽:佐藤勝
現像:東京現像所
出演:三船敏郎、鶴田浩二、司葉子、河津清三郎、堺左千夫、田崎潤、佐藤允、平田昭彦、北あけみ、天本英世、ミッキー・カーチス
1960年日本・東宝/シネスコサイズ・カラー95分35mmフィルム
暗黒街の対決 [DVD]
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暗黒街の対決暗黒街の対決
佐藤允                    ミッキー・カーチス

 

映画「独立愚連隊」

独立愚連隊独立愚連隊
佐藤允                      中谷一郎

今回は岡本喜八監督1959年製作「独立愚連隊」をピックアップする。本作は助監督時代に岡本喜八氏が脚本を書いたものを製作したもので、監督自ら失敗作として認めている。

「昨年度の”独立愚連隊”もアキラカに失敗の部類だ。/戦争の愚劣さを底の方に若干流したつもりが、お客の99%強は仇討モノガタリだけに入場料を払って頂いたようだ。/戦争ハニンゲン・イコール・ムシケラニスル、ダカラ戦争ハイヤナンダ、と云うつもりが、俄然好戦的な大量殺人者メと云うハンコを押されて返ッて来てしまッた。これでは全く逆だ、作者ノ力及バズどころの話ではない。」[『シナリオ』1960年10月号、109頁。岡本喜八「軍旗ト云ウモノノ権威」より
(参照:ウィキペディア)]

公開当時に好戦的、反中国的という批判を受けたそうだが、中国の抗日テレビドラマに比べればマシだ。少なくとも八路軍を悪者として描いていないし独立愚連隊の映画的娯楽性に終始している。私は鶴田浩二さんや三船敏郎さんの味のある演技、歌手の雪村いづみさんの出演だけでも時代的価値はあると思った。

独立愚連隊独立愚連隊
中丸忠雄、佐藤允                 鶴田浩二

【ストリー】
第二次大戦も末期、北支戦線の山岳地帯で敵と対峙している日本軍に、独立愚連隊と呼ばれる小哨隊があった。正式には独立第九〇小哨だが、各隊のクズばかり集めて作った警備隊なので、この名称があった。
独立愚連隊に行くには、敵の出没する危険な丘陵地帯を行かねばならない。この死地へ、新聞記者の腕章を巻き、戦闘帽に中国服姿の男が馬を走らせていた。大久保という元軍曹だが、愚連隊小哨長をしていた弟の死因を究明するために、入院中の北京の病院を脱走して来たのだ。従軍記者荒木となのっていた。彼には弟が交戦中に情婦と心中したという発表は信じられなかった。彼は生前弟が使用していた居室から、弟の死因となったピストルの弾を発見した。心中なら二発ですむわけだが、弾はいくつも壁にくいこんでいた。
部屋で死んだのだから、敵ではなく部隊内の誰かが犯人だ。戦況はすでに破局に達していた。死んだ梨花の妹でヤン小紅という娘が現われた。荒木は、彼女から姉の形見だという紙片を見せてもらった。大久保見習士官が死ぬ直前に、部隊長宛に綴った意見具申書だった。橋本中尉の不正を列挙し、隊の軍規是正を望むものだった。橋本中尉は、自分の不正がばれるのを恐れて大久保を殺し、心中の汚名を着せたのだ。
しかし、荒木の身許が橋本にバレた。荒木の北京時代の恋人で、今は将軍廟で慰安婦をしているトミが荒木を追って来た。そして彼女は将軍廟の橋本からかかって来た電話に出て、荒木の本名を口走ってしまったのだ。将軍廟に向うトミと荒木を乗せたトラックは「途中で敵の砲撃を受け、トミは死んだ。荒木も将軍廟に着くと営倉に投げこまれた。しかし、脱出して橋本を撃った。
敵の大軍が押し入った。しかし、荒木は不思議に死ななかった。彼は馬賊の群に投じ、はるか地平線の彼方に消えて行った。

独立愚連隊独立愚連隊
雪村いづみ                     三船敏郎

題名:独立愚連隊
監督:岡本喜八
製作:田中友幸
脚本:岡本喜八
撮影:逢沢譲
照明:西川鶴三
美術:阿久根巌
録音:渡会伸
整音:下永尚
音楽:佐藤勝
現像:東宝現像所
助監督:竹林進
出演:佐藤允、中谷一郎、雪村いづみ、鶴田浩二、上村幸之、三船敏郎
1959年日本・東宝/シネスコサイズ・モノクロ109分35mmフィルム
独立愚連隊 [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

独立愚連隊独立愚連隊

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