映画「関東無宿」


今回は鈴木清順監督1963年製作「関東無宿」をピックアップかする。
本作は既成の任侠映画ではなく、鈴木清順監督の様式美を貫いた作品である。
演出も意表を突いたものであり、商業映画の既成概念を砕こうとしている。

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題名:関東無宿
監督:鈴木清順
企画:浅田健三
原作:平林たい子「地底の歌」
脚本:八木保太郎
撮影:峰重義
照明:三尾三郎
美術:木村威夫
録音:中村敏夫
音楽:池田正義
現像:東京現像所
編集:鈴木晃
製作担当:二反田実
助監督:葛生雅美
色彩計測:森勝
スチール:式田高一
出演:小林旭、松原智恵子、平田大三郎、伊藤弘子、中原早苗、伊藤雄之助、安部徹、野呂圭介、高品格、殿山泰司、江角英明、木島一郎
1963年日本・日活/シネスコサイズ・カラー92分35mmフィルム
関東無宿 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

【訃報】
「ツィゴイネルワイゼン」「オペレッタ狸御殿」などで知られた映画監督の鈴木清順氏(すずき・せいじゅん、本名・鈴木清太郎=すずき・せいたろう)が2017年2月13日午後7時32分、慢性閉塞性肺疾患のため東京都内の病院で亡くなった。93歳。東京都出身。葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみで執り行われた。喪主は妻・崇子(たかこ)さん。1923年(大12)生まれ。1948年に松竹入り、54年に日活に移籍し、56年「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビュー。赤木圭一郎主演の「素っ裸の年齢」、小林旭主演「関東無宿」、渡哲也主演「東京流れ者」、高橋英樹主演「けんかえれじい」など独特の色彩感覚を生かした作品で人気を集めた。のちにカルト的な人気となった1967年「殺しの烙印」を最後に「分からない映画ばかり撮る」と日活を解雇されたが、1971年に裁判の末に和解。1977年「悲恋物語」で監督業に復帰した。1980年「ツィゴイネルワイゼン」が国内外で高く評価され、ベルリン国際映画祭で審査員特別賞に輝いたほか、日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞などを受賞。その後、「陽炎座」「夢二」などを発表し、第58回カンヌ国際映画祭で栄誉上映特別作品として招待された2005年の「オペレッタ狸御殿」が遺作となった。1990年紫綬褒章。スポニチアネックス 2017/2/22(水) 14:52配信

【ストリー】
新聞の片隅にある「やくざの出入り、親分射殺さる」の小さな見出し、この小さなみだしの裏には、やくざの掟に反抗しながら、悲惨な宿命を背負った二人の男の物語があった。伊豆組の幹部鶴田光雄(小林旭)は、どこか知的な鋭さをもつ男であった。その鋭さが、彼の印象を非情で、油断のない人間にしていた。親分伊豆荘太(殿山泰司)が、心を許せないのもこんな彼にであった。最近擡頭著しい吉田組と、伊豆組は何にかとおりあいが悪かったが、土建の請負仕事の権利をめぐって、一触即発の状態であった。古田組の乾分、ダイヤモンドの冬(平田大三郎)は、ある日花子(中原早苗)という女子学生に遇ったが、その日から冬は花子が忘れられなくなった。しかし花子は伊豆組の乾分鉄(野呂圭介)に売り飛ばされてしまった。狂気のように探す冬を見た伊豆は、吉田組の復讐を恐れ、鶴田に鉄と花子を探し出すように命じた。ある賭場に来た鶴田は、女博徒辰子(伊藤弘子)に再会した。三年前賭場で知り会った二人は、忘れられない人になっていたのだ。辰子はイカサマ博打師おかる八(伊藤雄之助)と組み、客から金を捲きあげていた。思いあまった鶴田は冬の家を訪ねだが、そこで辰子を見て驚いた。辰子は冬の姉だったのだ。鶴田の胸に顔を埋める辰子、その時から鶴田は、辰子の男、“おかる八”との対決を決意していた。花子を失い、連日連夜賭博にふける冬を心配して相談する辰子と、鶴田の間には、ヤクザの掟はなく慕情だけがあった。突然鉄が、ダイヤモンドの冬に刺されたと聞いた伊豆荘太は、鶴田の無能さをなじった。何事かを決意した鶴田は賭場に返した。突如数人の暴漢にかこまれた鶴田は、二人を一瞬に切って捨てた。その頃冬もまた吉田の命令で伊豆をドスで貫いていた。やくざの黒い掟に押し流された、若い二人はこうして社会から抹殺されていった。

映画「喜びも悲しみも幾歳月」


佐田啓二、高峰秀子

今回は木下惠介監督1957年製作「喜びも悲しみも幾歳月」をピックアップする。
本作は戦前から戦後の燈台守一家の波乱に満ちた生活を描いたものだが、1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長の妻、田中きよさんの手記から題材を得て木下監督が脚本を執筆している。撮影は、観音崎、御前崎、安乗崎、野寒布岬、三原山、五島列島、瀬戸内海の男木島、女木島など全国で行われた。本作で「戦場のメリークリスマス(1983年/大島渚監督)」の撮影監督である成島東一郎氏が色彩技術(色彩計測=撮影チーフ助手)として参加されている。


佐田啓二、高峰秀子

【ストリー】
上海事件の昭和7年--新婚早々の若い燈台員有沢四郎(佐田啓二)ときよ子(高峰秀子)は、東京湾の観音崎燈台に赴任して来た。日本が国際連盟を脱退した年には、四郎たちは雪の涯北海道の石狩燈台へ転任になった。そこできよ子は長女雪野(有沢正子)を生み、2年後に長男光太郎(中村賀津雄)を生んだ。
昭和12年には波風荒い五島列島の女島燈台に転勤した四郎一家はともすると夫婦喧嘩をすることが多くなった。きよ子は家を出ようと思っても、便船を一週間も待たねばならぬ始末であった。気さくな若い燈台員野津(田村高広)は、そんな燈台でいつも明るく、台長の娘真砂子(伊藤弘子)を恋していたが、真砂子は燈台員のお嫁さんにはならないと野津を困らせた。昭和16年--太平洋戦争の始った年に有沢一家は、佐渡の弾崎燈台に移り、今は有沢も次席さんとよばれる身になっていた。B29が本土に爆音を轟かす昭和20年--有沢たちは御前崎燈台に移り、東京から疎開して来た名取夫人と知合った。まもなく野津といまは彼の良き妻の真砂子が赴任してきた。艦載機の襲撃に幾多の燈台員の尊い命が失われた。戦争が終って、野津夫婦も他の燈台へ転勤になった。それから5年--有沢たちは三重県安乗崎に移った。燈台記念日に祝賀式の終ったあと、美しく成長した雪野と光太郎は、父母に心のこもった贈物をするのであった。やがて雪野は名取家に招かれて東京へ勉強に出ていった。昭和28年には風光明眉な瀬戸内海の木島燈台に移った。ところが大学入試に失敗して遊び歩いていた光太郎は、不良と喧嘩をして死ぬという不幸にみまわれた。歳月は流れて--思い出の御前崎燈台の台長になって赴任する途中、東京にいる雪野と名取家の長男進吾(仲谷昇)との結婚話が持ち出された。やがて二人は結婚して任地のカイロに向う日、燈台の灯室で四郎ときよ子は、二人の乗っている船のために灯をともすのであった。そしてめっきり老いた二人は双眼鏡に見入った。そして、長い数々の苦労も忘れて、二人は遠去かる船に手を振った。旋回する燈台の灯に応えて、船の汽笛がきこえて来た。

題名:喜びも悲しみも幾歳月
監督:木下惠介
原作:木下惠介
脚本:木下惠介
撮影:楠田浩之
照明:豊島良三
録音:大野久男
美術:伊藤熹朔、梅田千代夫
装置:小林孝正
装飾:山崎鉄治
衣装:吉田幸七
編集:杉原よし
音楽:木下忠司 主題歌:若山彰「喜びも悲しみも幾歳月」
フィルム:イーストマン・コダック
現像:東洋現像所
色彩技術:成島東一郎
特殊撮影:川上景司
製作渉外:小倉武志
撮影渉外:手代木功
出演:高峰秀子、佐田啓二、中村賀津雄、桂木洋子、有沢正子、田村高廣、仲谷昇、伊藤弘子
1957年日本・松竹/スタンダードサイズ・カラー149分35mmフィルム
喜びも悲しみも幾歳月 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


高峰秀子、佐田啓二