映画「座頭市」

座頭市座頭市
勝新太郎

今回は勝新太郎監督1989年製作「座頭市」をピッアップした。
本作は座頭市シリーズの26作目となり勝新太郎最後の座頭市となった作品である。
見事な居合い斬りの殺陣と豪華俳優陣に圧倒される。
ラストの宿場町のセットは、3億円をかけてみろくの里(広島県福山市)に組まれたそうだ。

座頭市シリーズ

座頭市座頭市
奥村雄大                    内田裕也

【解説】
勝新太郎主演で製作された最後の座頭市作品。勝は脚本・製作・監督を兼任。制作当時、日本社会はバブル景気で、映画に投資を行う企業は多かった。こうしたなか、ゴルフ場建設会社「三倶」から制作を持ちかけられ、松竹が配給するという形で企画は始動した。勝は「座頭市」シリーズを支えてきた中村努、真田正典、南野梅雄といった旧知のスタッフを招集。1988年(昭和63年)正月明けから始まった企画は、勝が脚本作りを何度も振り出しに戻すうちに、半年を浪費するに及んで、ついに松竹は企画打ち切りの意向を伝えてきた。慌てた中村努は勝を説得し、形ばかりの脚本を松竹に提出し、なんとか制作に入ることとなった。
ストーリーはすべて勝のイメージを中村努が後付けで文章にまとめる形で進められた。しかし、テレビシリーズ最後まで制作現場としてきた旧大映の京都撮影所は数年前にマンションとなり、東京のにっかつ撮影所での制作となった。息の合う撮影スタッフはスケジュール上の都合で揃えることが出来ず、東京の映画スタッフを急遽集めなければならなかった。また貸しスタジオのためパーマネントセットが組めず、撮影のたびに壊さなければならなかった。このなか映画の現場に不慣れな美術デザイナーは、巨大な博打場のセット(文化財家屋をモデルに使った)を組んでしまい、維持管理に莫大な予算を使い、このセットだけで5000万円を費やすこととなった。「勝プロ」時代から、勝の映画作りは完全なワンマン体制で、勝のイメージがすべてに先行し、脚本は全く無視され、撮影ではアドリブでその場で演出が変わるのが恒例だった。
旧来のスタッフはこれを熟知していたが、その他の新規スタッフは戸惑うばかりで撮影は円滑に進まなかった。東京を本拠としたため、ロケ場所の選定もひと苦労だった。アドリブ主体の勝の撮影に対応した機材資材一切をトラック隊に積み、青森から広島まで、全国をロケ隊が回った。勝の意向で片岡鶴太郎はロケが突然中断されて別日に変更され、このため出演部分の撮影が遅れてしまい、ついにはレギュラー番組の出演を一回休むこととなっている。そんな中、殺陣のリハーサル中、五右衛門役の奥村雄大の持っていた日本刀(真剣)が子分役の俳優の首に刺さり死亡する事故が起きてしまう。奥村に真剣を持たせたのは助監督で、時代劇経験のない、急遽集められたスタッフの一人だった。 「真剣の使用における安全管理の問題」「重大事故の発生にも関わらず撮影を続行する製作姿勢」などが問題視され、一大スキャンダルとして報道された。
1月20日にようやくクランクアップした後、2月4日の封切りに、最終作業を間に合わないとみた松竹は公開延期を申し入れてきた。しかしここでついに大映時代からのスタッフの実績が発揮されることとなった。
事件報道の集中砲火を浴びて満身創痍の勝は得意の三味線を即興演奏して劇中に盛り込み、徹夜を重ねたスタッフは見事にフィルムをまとめ上げた。そして公開されるや映画は大ヒットとなったのである 。
(参照:ウィキペディア)

【ストリー】
牢を出たばかりの座頭市は、漁師・儀肋の家にやっかいになった。その小さな漁村では五右衛門一家が賭場を開き、市もつきに任せて遊んでいた。跡目を継いだばかりの若き五右衛門は宿場一体を仕切るために八州取締役に取り入ろうとしていた。大勝ちした市を撫然とした五右衛門一家が取り囲むが、女親分のおはんが取りなした。帰り道で市は刺客に襲われるが、得意な居合い斬りで片づけた。
市は旅先で絵を描く浪人と知り合い、色を教えてもらった。その間も五右衛門一家の刺客が襲いかかるが、市の居合い斬りの前には歯が立たない。八州取締役は赤兵衛に五右衛門と対抗するために銃を買うことを勧めた。しかし、赤兵衛は五右衛門と八州が通じていることを知っており、市を用心棒に顧った。一方五右衛門は浪人を新しい用心棒に顧っていた。赤兵衛の宿場で八州は薄幸の少女おうめを手込めにしようとするが、市に斬られた。浪人は湯治場で一度市を見逃すが、五右衛門一家はついに赤兵衛一家を襲う。壮絶な斬り合いの末、赤兵衛は五右衛門の前に倒れた。
その時坂の上から早桶が転ってきて、中から現われたのは八州の首を持った市だった。
そして市は数十人の五右衛門一家の子分を絶滅させ、最後に五右衛門と浪人も倒すのだった。

座頭市座頭市
樋口可南子

題名:座頭市
監督:勝新太郎
製作:塚本ジューン・アダムス、真田正典、勝新太郎
原作:子母澤寛
脚本:中村努、市山達巳、勝新太郎、中村努、市山達巳、中岡京平
撮影:長沼六男
照明:熊谷秀夫
録音:堀内戦治
美術:梅田千代夫
造型:江川悦子、大池しおり、佐和一弘、寺田高士
殺陣:久世浩
編集:谷口登司夫
音楽:渡辺敬之 主題歌:JOHNNY「THE LONER」
現像:東京現像所
撮影機材:パナビジョン(三和映材社)
監督補:南野梅雄
助監督:猪崎宣昭
スチール:金田正、大谷栄一
出演:勝新太郎、緒形拳、樋口可南子、陣内孝則、内田裕也、奥村雄大、片岡鶴太郎、三木のり平、蟹江敬三、川谷拓三、安岡力也、ジョー山中、多々良純、草野とよ実、松村和子
1989年日本・勝プロモーション+三倶/ビスタサイズ・イーストマンカラー116分35mmフィルム
座頭市(デジタルリマスター版) [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

座頭市座頭市
緒形拳                       陣内孝則

映画「松川事件」

松川事件松川事件
小沢弘治                      西村晃

今回は山本薩夫監督1961年製作「松川事件」をピックアップした。
本作は1960年11月5日にクランクインし、ロケ地は仙台高等裁判所付近等行 われ、強要された虚偽の自白内容のレール外しのシーンは現在の千葉県佐倉市付近で撮影され、仙台高裁前のラストシーンは福島、宮城、東京、新潟、栃木、千 葉、神奈川各県から約2000人のエキストラが参加したそうだ。
本作は35mm版36本がプリントされて792館の劇場で上映され160万人の観客を獲得した。また16mm版は67本が縮小プリントされ1300会場1600回210万人が鑑賞したそうだ。

本作は第一審、第二審の公判記録を中心に、事実に忠実にシナリオが書かれ細部にわたって再現されている。被告と家族、弁護人の氏名、弁護士の所属団体(自由法曹団)は実名である。冤罪の問題は過去の出来事だとは言えない。つまり、警察のでっちあげによる冤罪は「足利事件(2010年3月再審無罪 判決)」「東電OL殺人事件(2011年11月再審無罪判決)」「袴田事件(2014年3月死刑執行停止-釈放-再審)」など近年でも数多く存在する。
そ の意味で半世紀以上前に作られた本作が描く「いかにして犯人に仕立てられ死刑判決が高裁で出るまで」はリアリティにはんぱない

【松川事件とは】
1949年(昭和24年)8月17日午前3時9分頃 、福島県信夫郡金谷川村の日本国有鉄道(国鉄)東北本線[青森発上野行き上り412旅客列車(C51形蒸気機関車牽引)]で起きた列車往来妨害事件で、下 山事件、三鷹事件と並び国鉄三大ミステリー事件とされており、警察によるでっちあげで容疑者が逮捕されたもののその後の裁判で全員が無罪となり未解決事件 となった。捜査当局はこの事件を、当時の大量人員整理に反対し、東芝松川工場(現北芝電機)労働組合と国鉄労働組合(国労)構成員の共同謀議による犯行との見込みを 付けて捜査を行った。事件発生から24日後の9月10日、元国鉄線路工の少年が傷害罪で別件逮捕され、松川事件についての取り調べを受けた。少年は逮捕後 9日目に松川事件の犯行を自供、その自供に基づいて共犯者が検挙された。9月22日、国労員5名及び東芝労組員2名が逮捕され、10月4日には東芝労組員 5名、8日に東芝労組員1名、17日に東芝労組員2名、21日に国労員4名と、合計20名が逮捕者の自白に基づいて芋づる式に逮捕、起訴された。1950 年(昭和25年)12月6日の福島地裁による一審判決では、被告20人全員が有罪(うち死刑5人)、1953年(昭和28年)12月22日の仙台高裁によ る二審判決では17人が有罪(うち死刑4人)、3人が無罪となったが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、作家の広津和郎が中央公論で無罪論を 展開した。また宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家・知識人の支援運動が起こり、世論の関心も高 まった。1959年(昭和34年)8月10日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。検察側の隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者の発 言に関するメモ。被告達のアリバイを証明していた。使用者側の記録者の名から)の存在と、検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(松川駅の線路班 倉庫に1丁あった)ではボルトを緩められないことが判明した。1961年(昭和36年)8月8日、仙台高裁での差し戻し審で被告全員に無罪判決。
1963年(昭和38年)9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告全員の無罪が確定した。判決当日、NHKは最高裁前からテレビ中継を行い、 報道特別番組『松川事件最高裁判決』として全国に放送した。無罪判決確定後に真犯人追及の捜査が継続された形跡はなく、1964年8月17日午前零時、汽 車転覆等及び同致死罪の公訴時効を迎えた。
被告たちは一連の刑事裁判について国家賠償請求を行い、1970年8月に裁判所は判決で国に賠償責任を認める判 断を下した。この事件は、「日本共産党支持層であった東芝社員らの労働運動を弾圧するためにGHQや警察が仕組んだ謀略である」とする説が事件直後からさ さやかれた。事故直前に現場を通過する予定であった貨物列車の運休、警察が余りにも早く現場に到着した点や、事件後に現場付近で不審人物を目撃したという 男性の不審死などの不可解な部分があると言われており、これらを元に謀略説の可能性が指摘されている。事件から20年経った1970年(昭和45年)7 月、中島辰次郎が『アサヒ芸能』上で事件の真犯人であると告白、国会でも取り上げられたことがある。中島はキャノン機関のメンバーと共にレールを外した工 作の経緯を詳細に語ったが、信憑性を疑う見方も多く真偽は不明である。
(参照:ウィキペディア)

松川事件松川事件
宇野重吉                      多々良純

【ストリー】
福島の街はまだ眠りに包まれていた。二つの影が冷くいかめしい地区警察署に吸いこまれていった。一人は本間刑事、一人は十九歳のチンピラ青年赤間勝美。東 北本線金谷川駅と松川駅間で上り旅客列車の脱線転覆事件があってから一カ月近くたった昭和二十四年九月十日のことである。その日から、激しい赤間取調べが 始まった。否認を続ける赤間に、組合幹部への憎しみと恐怖心をあおりたてる果てしない拷問。赤間の瞳は次第に焦点を失っていった。警察官、検察官によって あらかじめ用意されたウソの供述書を筋書通りに作らされた。この“赤間自白”をもとに、国鉄労組から十名、東芝労組から十名が次々と逮捕された。その年の 十二月五日、福島地方裁判所で第一回公判が開かれた。
赤間は冒頭から警察での自白をひるがえし、無実を主張した。公判は回を重ねるにつれ、この事件をめぐる警察、検査側の陰謀を明らかにしていった。昭和二十 五年十二月六日、死刑五名、無期懲役五名、残る十名に長期刑という判決。裁判は被告たちの考えたほど甘いものではなかった。昭和二十八年十二月二十二日、 仙台高等裁判所における第二審判決の日がきた。三名をのぞいて全員有罪。
判決文というより、検事の最終論告そのものだった。裁告たち、弁護人団は怒りにふるえた。佐藤一被告がトラックの上に立ち、被告団声明を読みあげた。
拍手が起り、「真実の勝利のために」の歌声が起った。

松川事件松川事件
宇野重吉、宇津井健

題名:松川事件
監督:山本薩夫
製作:伊藤武郎、糸屋寿雄
脚本:新藤兼人、山形雄策
撮影:佐藤昌道
照明:鈴賀隆夫
録音:安恵重遠
美術:久保一雄
編集:河野秋和
音楽:林光
出演:宇野重吉、宇津井健、小沢弘治、北林谷栄、沢村貞子、永井智雄、下元勉、西村晃、多々良純、加藤嘉、名古屋章、殿山泰司、井上昭文
1961年日本・新日本映画社/スタンダードサイズ・モノクロ162分35mmフィルム
松川事件 [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

松川事件松川事件

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