映画「痴人の愛」

痴人の愛
小沢昭一、大楠道代(安田道代)
痴人の愛痴人の愛
小沢昭一

今回は増村保造監督1967年製作「痴人の愛」をピックアップする。
谷崎潤一郎氏原作の「痴人の愛」は、木村恵吾監督が1949年(出演:京マチ子、宇野重吉)と1960年(出演:叶順子、船越英二)に作られ、本作が3回目の映画化で時代設定を1967年にしている。名優・小沢昭一さんがナオミに溺れた哀しい男を類例のないキャラクターで好演している。当時としては生唾ものだったに違いないナオミを色っぽく演じた大楠道代さんは、翌年、増村監督と組んだ「セックス・チェック 第二の性」へと磨きをかける。

痴人の愛痴人の愛
痴人の愛
痴人の愛痴人の愛

【ストリー】
精油所の技師河合譲治(小沢昭一)は酒も煙草も麻雀もやらず、上役や同僚から無類の竪物と思われているが、実は秘かにナオミ(大楠道代)という女を飼育していた。ナオミはまだ少女の面影を残しているが、譲治は理想の女を作りあげようと奇妙な執念をナオミにそそぎ、そして、ナオミと結婚した。譲治はナオミに教養をつけさせようと、ピアノやイタリア語を習わせたが、ナオミは学生の浜田(田村正和)や熊谷(倉石功)らのボーイフレンドと遊びまわり、勉強はそっちのけだった。そのうえ、ナオミがボーイフレンドの誰彼の見境もなく身を任せているという噂がたった。譲治はナオミを問いつめた。がナオミは巧みにその鉾先をそらし、かえって豊かにみがきあげられたあでやかな肉体を誇示し、譲治はその魅力に屈服するありさまだった。それは、肉欲の前にひざまずく、あさましい人間の姿でもあったが、それだけに譲治はなんとしてもナオミを自分ひとりのものにしたいと思っていたのだった。ある日、彼女の行動になお、不安と疑惑を拭いきれない譲治は、隣家の花村医師(内田朝雄)にナオミの監視を依頼した。その結果、ナオミは浜田とも熊谷とも関係あることがわかった。口論の末ナオミは家を出た。譲治には、うつうつとして愉しまない日が続いたが、譲治はナオミに関する日記と写真を焼き、キッパリとナオミと縁を切ることを決心した。その後、ナオミについて、譲治はとかくのスキャンダルを耳にしたが、もはや心を動かされなかった。ある日、うらぶれたナオミが、衣類を取りに来たことを口実に帰って来た。譲治の決心は、ナオミを目の前にするとまたぐらつきはじめた。惜し気もなく肌をあらわにして着かえるナオミは、最後の別れに襟足を剃って、ついでに腋の下もと譲治に甘えた。いつしか譲治はあえぎはじめ、もう二度と行かないでくれ、お前の言うことはなんでもきく、馬にもなる、と狂おしくナオミに抱きついていくのだった。

痴人の愛痴人の愛
小沢昭一、田村正和                小沢昭一、内田朝雄

題名:痴人の愛
監督:増村保造
企画:久保寺生郎
原作:谷崎潤一郎
脚本:池田一朗
撮影:小林節雄
照明:柴田恒吉
録音:渡辺利一
美術:間野重雄
衣装考証:真木小太郎
編集:中静達治
音楽:山本直純
現像:東京現像所
製作主任:林秀樹
助監督:岡崎明
スチール:大葉博一
出演:大楠道代、小沢昭一、田村正和、倉石功、村瀬幸子、内田朝雄、穂高のり子、紺野ユカ、早川雄三、森矢雄二、渡辺鉄弥
1967年日本・大映東京撮影所/シネスコサイズ・カラー92分35mmフィルム
痴人の愛 -DVD-
2016年8月現在、DVDレンタルはありません。

痴人の愛痴人の愛
痴人の愛
痴人の愛
大楠道代

映画「陽炎座」

陽炎座陽炎座
松田優作                      大楠道代(安田道代)

今回は鈴木清順監督1981年製作「陽炎座」をピックアップする。
本作は、「ツィゴイネルワイゼン」「夢二(1991年)」と合わせ大正浪漫三部作と言われ鈴木清順監督が独自の美学を映像化したものだ。

【追記・訃報】
「ツィゴイネルワイゼン」「オペレッタ狸御殿」などで知られた映画監督の鈴木清順氏(すずき・せいじゅん、本名・鈴木清太郎=すずき・せいたろう)が2017年2月13日午後7時32分、慢性閉塞性肺疾患のため東京都内の病院で亡くなった。93歳。東京都出身。葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみで執り行われた。喪主は妻・崇子(たかこ)さん。1923年(大12)生まれ。1948年に松竹入り、54年に日活に移籍し、56年「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビュー。赤木圭一郎主演の「素っ裸の年齢」、小林旭主演「関東無宿」、渡哲也主演「東京流れ者」、高橋英樹主演「けんかえれじい」など独特の色彩感覚を生かした作品で人気を集めた。のちにカルト的な人気となった1967年「殺しの烙印」を最後に「分からない映画ばかり撮る」と日活を解雇されたが、1971年に裁判の末に和解。1977年「悲恋物語」で監督業に復帰した。1980年「ツィゴイネルワイゼン」が国内外で高く評価され、ベルリン国際映画祭で審査員特別賞に輝いたほか、日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞などを受賞。その後、「陽炎座」「夢二」などを発表し、第58回カンヌ国際映画祭で栄誉上映特別作品として招待された2005年の「オペレッタ狸御殿」が遺作となった。1990年紫綬褒章。
スポニチアネックス 2/22(水) 14:52配信

陽炎座陽炎座
中村嘉葎雄、松田優作                 楠田枝里子

【ストリー】
1926年。大正末年で昭和元年の東京。新派の劇作家、松崎春狐(松田優作)は偶然に、美しい謎の女、品子(大楠道代)と出会う。三度重なった寄妙な出会いを、春孤はパトロンである玉脇(中村嘉葎雄)に打ち明けた。ところが、広大な玉脇の邸宅の一室は、松碕が品子と会った部屋とソックリ。品子は玉協の妻では……松崎は恐怖に震えた。数日後、松崎は品子とソックリの振袖姿のイネ(楠田枝里子)と出会う。イネは「玉脇の家内です」と言う。しかし、驚いたことに、イネは、松崎と出会う直前に息を引きとったという。松崎の下宿の女主人みお(加賀まりこ)は、玉脇の過去について語った。玉脇はドイツ留学中、イレーネと結ばれ、彼女は日本に来てイネになりきろうとしたことなど。そして、イネは病気で入院、玉脇は品子を後添いにした。そこへ、品子から松崎へ手紙が来た。「金沢、夕月楼にてお待ち申し候。三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋死なねばなりません……」金沢に向う松崎は列車の中で玉脇に出会った。彼は金沢へ亭主持ちの女と若い愛人の心中を見に行くと言う。金沢では不思議なことが相次ぐ。品子と死んだはずのイネが舟に乗っていたかと思うと、やっとめぐり会えた品子は、手紙を出した覚えはないと語る。玉脇は松崎に心中をそそのかした。この仕組まれた心中劇の主人公を松崎は演じることが出来ない。心中から逃れた松崎は、アナーキストの和田(原田芳雄)と知り合う。和田は松崎を秘密めいた人形の会に誘う。人形を裏返し、空洞を覗くと、そこには男と女の情交の世界が拡がっている。松崎が最後の人形を覗くとそこには人妻と若い愛人が背中合わせに座っている。死後の世界だった。松崎は衝撃を受けた。金沢を逃げ出し、彷徨う松崎は子供芝居の小屋に辿り着いた。舞台で玉脇、イネ、品子の縺れた糸がほどかれようとした刹那、愛憎の念が、一瞬にしてその小屋を崩壊させる。松崎は、不安に狂ったように東京に帰ると、品子の手紙が待っていた。「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頬みそめてき」“夢が現実を変えたんだ”とつぶやく松崎の運命は奈落に落ちていくのだった。

陽炎座陽炎座
原田芳雄                    中村嘉葎雄、加賀まりこ

題名:陽炎座
監督:鈴木清順
企画:伊東謙二
製作:荒戸源次郎、花田良知
原作:泉鏡花
脚本:田中陽造
撮影:永塚一栄
照明:大西美津男
特機:NK特機
録音:橋本文雄
美術:池谷仙克
編集:鈴木晄
音楽:河内紀
フィルム:イーストマンコダック
撮影機材:フカザワ(シネオカメラ)
照明機材:日本照明
現像:東洋現像所
製作主任:丸山昌夫
監督協力:葛生雅美、音羽菊七
美術協力:西田真
助監督:白石宏一
スチール:山田脩二
出演:松田優作、大楠道代(安田道代)、中村嘉葎雄、楠田枝里子、東恵美子、原田芳雄、大友柳太朗、加賀まりこ、沖山秀子、麿赤児、佐野浅夫
1981年日本・シネマ・プラセット/スタンダードサイズ・イーストマンカラー139分35mmフィルム
陽炎座 [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

陽炎座陽炎座
大楠道代(安田道代)

映画「ツィゴイネルワイゼン」

ツィゴイネルワイゼンツィゴイネルワイゼン
原田芳雄                       藤田敏八

今回は鈴木清順監督1980年製作「ツィゴイネルワイゼン」をピックアップする。
本作は、名優原田芳雄と映画監督の藤田敏八氏が主演する狂気に取り憑かれた男女を幻想的に描いた作品である。妖しく美しい極彩色が女優陣(大谷直子・大楠道代)が引き立ったのが印象に残る。2001年4月にニュープリントで再映された。

【追記・訃報】
「ツィゴイネルワイゼン」「オペレッタ狸御殿」などで知られた映画監督の鈴木清順氏(すずき・せいじゅん、本名・鈴木清太郎=すずき・せいたろう)が2017年2月13日午後7時32分、慢性閉塞性肺疾患のため東京都内の病院で亡くなった。93歳。東京都出身。葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみで執り行われた。喪主は妻・崇子(たかこ)さん。1923年(大12)生まれ。1948年に松竹入り、54年に日活に移籍し、56年「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビュー。赤木圭一郎主演の「素っ裸の年齢」、小林旭主演「関東無宿」、渡哲也主演「東京流れ者」、高橋英樹主演「けんかえれじい」など独特の色彩感覚を生かした作品で人気を集めた。のちにカルト的な人気となった1967年「殺しの烙印」を最後に「分からない映画ばかり撮る」と日活を解雇されたが、1971年に裁判の末に和解。1977年「悲恋物語」で監督業に復帰した。1980年「ツィゴイネルワイゼン」が国内外で高く評価され、ベルリン国際映画祭で審査員特別賞に輝いたほか、日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞などを受賞。その後、「陽炎座」「夢二」などを発表し、第58回カンヌ国際映画祭で栄誉上映特別作品として招待された2005年の「オペレッタ狸御殿」が遺作となった。1990年紫綬褒章。
スポニチアネックス 2/22(水) 14:52配信

ツィゴイネルワイゼンツィゴイネルワイゼン
大谷直子                       大楠道代

【ストリー】
ドイツ語学者、青地豊二郎と友人の中砂糺の二人が海辺の町を旅していた。二人の周囲を、老人と若い男女二人の盲目の乞食が通り過ぎる。老人と若い女は夫婦で、若い男は弟子だそうだ。青地と中砂は宿をとると、小稲という芸者を呼んだ。中砂は旅を続け、青地は湘南の家に戻る。歳月が流れ、青地のもとへ中砂の結婚の知らせが届いた。中砂家を訪れた青地は、新妻、園を見て驚かされた。彼女は、あの旅で呼んだ芸者の小稲と瓜二つなのである。その晩、青地は作曲家サラサーテが自ら演奏している一九〇四年盤の「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを中砂に聴かされた。この盤には演奏者のサラサーテが伴奏者に喋っているのがそのまま録音されている珍品だそうだ。中砂は青地にその話の内容を訊ねるが、青地にも、それは理解出来なかった。中砂は再び旅に出る。その間に、妻の園は豊子という女の子を産んだ。中砂は旅の間、しばしば青地家を訪ね、青地の留守のときも、妻・周子と談笑していく。そして、周子の妹で入院中の妙子を見舞うこともある。ある日、青地に、中砂から、園の死とうばを雇ったという報せが伝えられた。中砂家を訪れた青地は、うばを見てまたしても驚かされた。うばは死んだ園にソックリなのだ。そう、何と彼女は、あの芸者の小稲だった。その晩は昔を想い出し、三人は愉快に飲んだ。中砂は三人の盲目の乞食の話などをする。数日後、中砂は旅に出た。そして暫くすると、麻酔薬のようなものを吸い過ぎて、中砂が旅の途中で事故死したという連絡が入った。その後、中砂家と青地家の交流も途絶えがちになっていく。ある晩、小稲が青地を訪ね、生前に中砂が貸した本を返して欲しいと言う。二~三日すると、また小稲が別に貸した本を返して欲しいとやって来た。それらの書名は難解なドイツ語の原書で、青地は芸者あがりの小稲が何故そんな本の名をスラスラ読めるのが訝しがった。そして二~三日するとまた彼女がやって来て、「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返して欲しいと言う。青地はそれを借りた記憶はなかった。小稲が帰ったあと、周子が中砂からそのレコードを借りて穏していたことが分り、数日後、青地はそれを持って小稲を訪ねた。そして、どうして本を貸していたのが分ったのかを訊ねわ。それは、豊子が夢の中で中砂と話すときに出て来たという。中砂を憶えていない筈の豊子が毎夜彼と話をするという。家を出た青地は豊子に出会った。「おじさんいらっしゃい、生きている人間は本当は死んでいて、死んでいる人が生きているのよ。おとうさんが待ってるわ、早く、早く……」と青地を迎える……。

ツィゴイネルワイゼンツィゴイネルワイゼン

題名:ツィゴイネルワイゼン
監督:鈴木清順
製作:荒戸源次郎
脚本:田中陽造
撮影:永塚一栄
照明:大西美津男
録音:岩田広一
美術:木村威夫、多田佳人
記録:内田絢子
編集:神谷信武
音楽:河内紀
現像:東洋現像所
撮影機材:シネオカメラ
助監督:山田純生
出演:原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代、麿赤兒、玉川伊佐男、樹木希林
1980年日本・シネマ・ブラセット/スタンダードサイズ・カラー144分35mmフィルム
ツィゴイネルワイゼン [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

ツィゴイネルワイゼンツィゴイネルワイゼン

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