映画「お早よう」

お早ようお早よう
笠智衆

今回は巨匠小津安二郎監督1959年製作「お早よう」をピックアップする。
本作は小津監督の「彼岸花」に続くカラー作品第二弾であり、東京タワーから白黒テレビ放送が送出された翌年にテレビ受像機を巡る世相を描いたものだ。ニュースフィルムでは知る由もない市民生活の機微を知る事が出来る作品である。
1959年1月にロケハン、2月27日から4月19日まで撮影、5月12日に公開されたそうだ。
撮影期間と仕上げ日数にプログラムピクチャーと言われた日本映画最盛期が伺える。

作品リスト

お早ようお早よう
久我美子                      佐田啓二

【ストリー】
東京の郊外--小住宅の並んでいる一角。組長の原田家は、辰造、きく江の夫婦に中学一年の子・幸造、それにお婆ちゃんのみつ江の四人暮し。原田家の左隣がガス会社に勤務の大久保善之助の家。妻のしげ、中学一年の善一の三人。大久保家の向い林啓太郎の家は妻の民子と、これも中学一年の実、次男の勇、それに民子の妹有田節子の五人暮し。林家の左隣・老サラリーマンの富沢汎は妻とよ子と二人暮し。右隣は界隈で唯一軒テレビをもっている丸山家で、明・みどりの若い夫婦は万事派手好みで近所のヒンシュクを買っている。そして、この小住宅地から少し離れた所に、子供たちが英語を習いに行っている福井平一郎が、その姉で自動車のセールスをしている加代子と住んでいる。林家の民子と加代子は女学校時代の同窓で、自然、平一郎と節子も好意を感じ合っている。このごろ、ここの子どもたちの間では、オデコを指で押すとオナラをするという妙な遊びがはやっているが、大人たちの間も、向う三軒両隣、ざっとこんな調子で、日頃ちいさな紛争はあるが和かにやっている。ところで、ここに奥さん連中が頭を痛める問題が起った。相撲が始まると子供たちが近所のヒンシュクの的・丸山家のテレビにかじりついて勉強をしないのである。民子が子どもの実と勇を叱ると、子供たちは、そんならテレビを買ってくれと云う。啓太郎が、子供の癖に余計なことを言うな、と怒鳴ると子供たちは黙るどころか、「大人だってコンチワ、オハヨウ、イイオテンキデスネ、余計なこと言ってるじゃないか」と反撃に出て正面衝突。ここに子供たちの沈黙戦術が始まった。子供たちは学校で先生に質問されても口を結んで答えないという徹底ぶり。この子供たちのことを邪推して近所の大人たちもまた揉める。オヤツをくれと言えなくて腹を空かした実と勇は原っぱにおヒツを持出して御飯を食べようとしたが巡査に見つかって逃げ出し行方不明となった。間もなく子供たちは駅前でテレビを見ているところを、節子の報せで探しに出た平一郎に見つかった。家へ戻った子供たちは、そこにテレビがおいてあるのを見て躍り上った。停年退職した富沢が電機器具の外交員になった仕事始めに月賦でいいからと持込んだものだった--。

お早ようお早よう
三宅邦子                         大泉滉

題名:お早よう
監督:小津安二郎
製作:山内静夫
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
照明:青松明
録音:妹尾芳三郎
美術:浜田辰雄
装置:山本金太郎
装飾:守谷節太郎
美粧:杉山和子
衣裳: 吉田幸七
編集:浜村義康
音楽:黛敏郎
フィルム:アグファ・ゲバルト
現像:東京現像所
監督助手:田代幸三
色彩計測:老川元薫
撮影助手:舎川芳次
出演:佐田啓二、久我美子、佐田啓二、笠智衆、三宅邦子、杉村春子、沢村貞子、設楽幸嗣、島津雅彦、東野英治郎、大泉滉、殿山泰司
1959年日本・松竹/スタンダードサイズ・カラー94分35mmフィルム
お早よう [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

お早ようお早よう

映画「夢みるように眠りたい」

夢みるように眠りたい夢みるように眠りたい
佐野史郎                       大泉滉

今回は林海象監督1986年製作「夢みるように眠りたい」をピックアップした。
本作は林監督のデビュー作であり、モノクロ・字幕映画(ほとんどサイ レント)とした実験的側面の強い稀な作品だ。好みで賛否が分かれる作品だと思うが、私は好感が持てた。特に昭和のノスタルジックな風俗を創った美術と小道具が素晴らしい。

林 海象「私の処女作」
1984年。27才の時、始めての映画「夢みるように眠りたい」を私は製作・監督した。それまでの私は映画界とは無縁で、社会の底辺をその日暮らしの生活で徘徊していた。19才で上京し、27才までの間20数種のアルバイトをし、10数回の引っ越しをしていた。毎日500円以上使わないと決めた生活は、私の身体を極限にま で痩せさせ、寝返りをうつと自分の骨盤でお腹の皮が挟まり痛かった。その頃、目を閉じ自分の将来を想像してみたが、見えるのは真っ暗の闇だけで、その闇の 怖さにゾッと寒けを覚えた。映画監督には16才の時からなりたかったが、どうやってなるのかは皆目見当がつかなかった。いろんな仕事についてはみたが、長 続きするものはなく半端な人生、それが私の青春であった。26才の時弟が死んだ。私は決意し「夢みるように眠りたい」の脚本を書き始めた。一か八か、夢み た映画監督に自分がなれるかどうかの最初で最後の賭けであった。脚本は何とか書き上がり、映画界にすむプロデューサーという人に会ってみた。彼は言った 「この映画は1億3千万ほとかかるよ」。私は言った「集めてもらえるのですか?」。答えは「君のような無名に誰がお金をだしますか」であった。その答えは 今思えば無理もない。私は自分でこの映画を製作することを決めた。製作費は500万円と勝手に決めた。その頃ピンク映画が一本350万円で撮っていると聞 いたので、それくらいあれば80分の映画ができるのではないかと思ったからだ。ただその頃の500万円は、一日500円で暮らしていた私にとって5億円く らいの響きがある大金だった。とにかくその資金を借りる算段とともに、スタッフ・キャストを集めだした。全員ノーギャラという無茶苦茶な条件で。スタート 時のメンバーは、撮影の長田勇市氏、照明の長田達也氏、と私の3人だけであった。そこから美術の木村威夫先生が参加してくださることになり、キャストでは 吉田義夫さん、深水藤子さんなど往年の名俳優たちが無償で参加してくださった。俳優の佐野史郎は、この映画が私とともに処女作で、遠藤賢治さんのコンサー トでギターを弾いていたところを発見した。私の処女作は白黒の無声映画で、今でこそ白黒は銀幕において再評価されているが、その頃は「白黒なんて、 ケッ!」という時代だった。さらに無声映画など誰一人見向きもしなかった。だがそれがこの映画の魅力であった。映画はせめて普通であってほしくない。普通の社会の底辺にいた私は、そう切に願っていた。社会は映画よりもっと残酷である。映画のリアリティーは現実に遠く及ばない。それなら思い切って映画は夢の部分を描くべきである。白黒無声という手法は、観客に想像する部分を残す映画手法である。私はそこに自分の前半の人生全てを賭け、多くの協力者を得て、私の処女作は完成し、自主 配給され、多くの観客を動員した。もし映画監督になっていなかったら、私は間違いなく犯罪者になっていたと確信している。
(2003/3/19)

夢みるように眠りたい夢みるように眠りたい

【ストリー】
大正7年、初めての女優の主演による映画と言われる帰山教正監督による「生の輝き」という映画があったが、実はその前に、月島桜主演による「永遠の謎」と いう映画があった。しかし、この「永遠の謎」は、警視庁の映画検閲によって妨害され、ラスト・シーンの撮影が出来ず、映画史から消えてしまった。昭和のは じめの東京。私立探偵、魚塚甚のもとに、月島桜と名のる老姿から、誘拐された娘、桔梗を探してほしいとの依頼がくる。調査を進める魚塚は、依頼主、月島桜 が主演してラスト・シーンを残して未完に終った無声映画「永遠の謎」がこの事件の鍵となっていることを知る。事件はその映画のストーリーにそって展開し、 魚塚は、娘を探しているのではなく「永遠の謎」のラスト・シーンを追っていることに気づく。そして、魚塚が月島桜の家を訪ねると、そこには若い頃の彼女が おり、彼も参加して失われたラスト・シーンの撮影が行なわれた。撮影を終えた月島桜はこれで安心して眠れると、永遠の眠りにつくのだった。

夢みるように眠りたい夢みるように眠りたい
大竹浩二

題名:夢みるように眠りたい
監督:林海象
製作:林海象、一瀬隆重
プロデューサー:あがた森魚、古沢敏文、長田忠彦
脚本:林海象
撮影:長田勇市
照明:長田達也
録音:鈴木昭彦
美術:木村威夫
編集:長田勇市、林海象
音楽:浦山秀彦、熊谷陽子、佳村萌、あがた森魚
現像:東映化学
助監督:植村康忠、高木厚太郎
配給:映像探偵社=シネセゾン
スチール:堀込多津子
出演:佳村萌、佐野史郎、深水藤子、大泉滉、あがた森魚、吉田義夫、大竹浩二、松田春翠
1986年日本/スタンダードサイズ・モノクロ81分35mmフィルム
夢みるように眠りたい [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

夢みるように眠りたい夢みるように眠りたい

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