映画「忍ぶ川」



栗原小巻                        加藤剛

今回は熊井啓監督1972年製作「忍ぶ川」をピックアップする。
熊井監督が病気療養中に原作を読み1966年にシナリオを書きあげ、吉永小百合さん主演、日活での制作を企画するが、ヌードシーンなどの懸念で吉永さんの両親の反対があり、さらに日活自身がロマンポルノに転換して頓挫する。熊井監督は長い闘病生活のあと日活を退社してから東宝と俳優座の提携制作が11年を経て決まり、栗原小巻さんが志乃役に起用され、結果として成功した。
(ウィキペディア参照)


加藤剛、栗原小巻                   井川比佐志

【ストリー】
哲郎(加藤剛)と志乃(栗原小巻)は料亭“忍ぶ川”で知りあった。哲郎は“忍ぶ川”の看板娘だった志乃に、初めての合った時から惹かれ、“忍ぶ川”に通うようになった。ある夜、話が深川のことに及んだ時、志乃は、私の生まれた土地で、もう8年も行っていないと言う。哲郎は志乃を誘い、薮入りの日に深川を案内することになった。志乃は洲崎パラダイスにある射的屋の娘で、父は郭(信欣三)では“当り矢のせんせ”と呼ばれていが、志乃が12歳の時、戦争で一家は栃木へ移住したのだ。やがて志乃だけが、弟や妹たちをおいて東京に働きに出ていたのである。深川から帰った夜、哲郎は志乃に手紙を書いた。「今日、深川で言いそびれた私の兄弟のことを、ここに記します。私は六人兄弟の末っ子です・・・」哲郎には兄が二人、姉が三人いて、上の姉二人は自殺、長兄は失踪、次兄はしっかりもので、哲郎を大学へ入れてくれたが、3年前に自分で木材会社を設立するという名目で逐電していた。一番最初に次姉が自殺した日が、よりによって哲郎の6才の誕生日だったため、それ以来彼は誕生日を祝ったことがない。哲郎の身の上を打ち明けた手紙に、志乃からの返事が来た。「来月の誕生日には私にお祝いさせて下さい。」7月末、志乃に婚約者(滝田裕介)がいることを知らされた哲郎が志乃に問いただすと、婚約はしたけれど、気はすすまず、栃木の父も反対しているという。哲郎は志乃に、その人のことは破談にしてくれ、そして、お父さんにあんたの好みにあいそうな結婚の相手ができたと、いってやってくれと言うのだった。秋の終わり、志乃の父の容態が急変した。志乃からひと目、父に会ってくれとことづかった哲郎は、急ぎ栃木の志乃の元へ--。「いたらぬものですが、志乃のことはなにぶんよろしゅうお願い申します」といい残し志乃の父は死んだ。その年の大晦日、哲郎は志乃を連れて故郷へ帰って来た。体の悪い父(永田靖)、老いた母(瀧花久子)、そして目の不自由な姉(岩崎加根子)、残された哲郎の家族は皆、志乃を気に入ってくれた。そうしてあくる二日、哲郎の家族だけで哲郎と志乃の結婚式があげられた。初夜。馬橇の鈴のさえた音に、二人は裸のまま、一枚の丹前にくるまり、馬橇の通りすぎるのをいつまでも見ていた……。翌朝、新婚旅行に近くの温泉へ向かう汽車の中から志乃は「見える、見える、あたしのうち!」と子供のようにはしゃぐのだった。


信欣三                       栗原小巻、加藤剛

山口果林                         忍ぶ川

岩崎加根子                       滝田裕介

題名:忍ぶ川
監督:熊井啓
製作:佐藤正之、椎野英之
原作:三浦哲郎
脚本:長谷部慶次、熊井啓
撮影:黒田清巳
照明:岡本健一
録音:太田六敏
音効:東洋音響効果
美術:木村威夫
美粧:井上静枝
衣裳:東京衣装
記録:吉田榮子
編集:井上治、丹治光代
音楽:松村禎三
現像:キヌタラボラトリー
製作担当:森園忠
製作進行:藤澤穆
監督補佐:宮川孝至
助監督:佐川功
演出助手:森川一雄、相澤徹、鈴木光義、稲田直也
撮影助手:高尾義照、西條正、金徳哲
照明助手:佐澤仁郎、前田基男、尾村厚
美術助手:佐久間聡、上田文雄
演技事務:入澤清
製作宣伝:本間宏
題字:加茂牛道人
録音スタジオ:櫂の会
協力:米沢市役所、米沢新聞社
スチール:岩井隆志
出演:栗原小巻、加藤剛、永田靖、信欣三、岩崎加根子、滝花久子、稲葉義男、滝田裕介、井川比佐志、可知靖之、山口果林、菅井きん、木村俊恵、片山まゆみ、阿部百合子、鹿野浩四郎、大西加代子
1972年日本・東宝+俳優座/スタンダードサイズ・モノクロ120分35mmフィルム
忍ぶ川 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


瀧花久子、永田靖、岩崎加根子、加藤剛、栗原小巻       加藤剛、栗原小巻

加藤剛、栗原小巻

映画「 処刑の島」


新田昌                           岩下志麻

今回は篠田正浩監督1966年製作「処刑の島」をピックアップする。
本作は武田泰淳氏原作の「流人島にて」を石原慎太郎氏が脚色して映画化したものだ、
松竹退社後の篠田監督フリー第1作である。ロケーション撮影は、八丈島と八丈小島で行われている。
(八丈島フィルムコミッションHP参照)


三国連太郎                       新田昌、信欣三

【ストリー】
太平洋に本島と小島という孤島が浮んでいた。昔から“流人島”として知られ、戦後も感化院がある。ある日、本島に一人の男が現れ、セールスマンというふれこみで船主野本(富田仲次郎)に宿を頼んだ。この男は三郎(新田昌)といい20年前、島にいたことがあった。三郎の父西原弦一郎はアナーキストで、そのため三郎は父母と兄とを特務の憲兵毛沼曹長(三國連太郎)に惨殺されていた。軍はこの残虐行為を隠すため三郎と毛沼を島に流したのだった。毛沼が島に流されたことは、三郎は知らなかった。三郎はサブと呼ばれ牛や山羊を飼っている大嶽(=毛沼曹長)に牛馬以下にこきつかわれた。何度か脱走を企ったが、その度血みどろになる迄打たれた。仲間の松井(佐藤慶)は三郎を裏切るし、教師の黒木(信欣三)は小心な傍観者だった。ある日三郎は半死半生のまま大嶽に海へ投げ込まれた。その時漁師に助けられた三郎は、20年後再び島に現われたのだ。他所者が20年前の三郎だと知って驚く松井、今は土建会社の社長だった。荒涼としたこの島にも美しい娘がいた。亜矢(岩下志麻)といった。亜矢は感化院の少年に襲われたところを三郎に助けられ好意を抱いた。だが三郎の気持ちは複雑だった。亜矢は大嶽の娘だったのだ。やがて三郎は松井と対決した。松井はジープで三郎をひき殺そうとして崖から落ちて死んだ。そして三郎が老いぼれた大嶽を訪ねると、大嶽は三郎だと気つかず流人が彫った仏像を渡した。三郎も何故かためらいそのまま帰った。だが、仏像に浮び上がった大嶽の指紋は、毛沼軍曹の指紋写真とぴったり一致していた。翌日、恵を決した三郎は短刀を手にして大嶽に迫った。亜矢は必死で父をかばうのだった。三郎は結局、大嶽に指をつめさせることで結着をつけた。流人サブの墓を立てようと帰ってきた三郎の使命は終った。今こそ暗い過去は葬り去られたのだ。


木村俊恵                         信欣三

題名:処刑の島
監督:篠田正浩
企画:石原慎太郎
製作:石原慎太郎、米山彊、中島正幸
原作:武田泰淳「流人島にて」
脚本:石原慎太郎
撮影:鈴木達夫
照明:海野義雄
録音:西崎英雄
音効:本間明 録音所:太平スタジオ
美術:戸田重昌
装置:菊川常太郎
装飾:荒川大
編集:篠田正浩
音楽:武満徹
現像:東洋現像所
製作主任:岸田秀男
助監督:宮川照司
スチール:森山大道
出演:新田昌、岩下志麻、三国連太郎、信欣三、木村俊恵、佐藤慶、殿山泰司、小松方正、富田仲次郎、平松淑恵、氏家慎子
1966年日本・日生劇場プロダクション/シネスコサイズ・カラー86分35mmフィルム
処刑の島 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


岩下志麻                        処刑の島

映画「仁義なき戦い 頂上作戦」


菅原文太                       梅宮辰夫

今回は深作欣二監督1974年製作「仁義なき戦い 頂上作戦」をピックアップする。
“仁義なき戦い”シリーズ第4作となる本作は、広島第二次抗争(代理戦争)が描かれ、脚本の笠原和夫氏と深作欣二監督はシリーズ終焉作と決めていたそうだが、シリーズのヒットで東映側の要請があり「完結編」が作られる事になったそうだ。


黒沢年男                      小林旭

【ストリー】
昭和38年春/西日本広域暴力団明石組と、ライバル神和会との代理戦争とも言うべき広島抗争は、激化する一方だった。明石組系の打本組(広島)と広能組(呉)、神和会系の山守組(広島)の双方は、はっきりと対立の様相を呈していた。同年5月相次ぐ暴力事件への市民の批判と相まって、警察は暴力団撲滅運動に乗り出し“頂上作戦”を敷いた。その頃、呉市では広能組が、山守組傘下の槙原組と対立していた。広能(菅原文太)と打本(加藤武)は、広島の義西会・岡島友次(小池朝雄)に応援を依頼し、ひたすら中立を守る岡島を、明石組の岩井(梅宮辰夫)も説得する。やがて、広能組の若衆河西(八名信夫)が、槙原組の的場(成瀬正孝)に射殺されたことから、広能と山守の対立は正に一触即発となった。一方、広島では、打本組々員三上が、誤って打本の堅気の客を殺害したことから、一般市民、マスコミの反撥が燃えあがり、警察も暴力取締り強化に本腰を入れはじめた。その頃、山守組系の早川組若衆仲本が、女をめぐって打本組の福田を襲撃、惨殺した。同年6月19日/山守組傘下の江田組々員が、打本組の若衆に凄絶なリンチを加え、一人を死に至らしめた。だが、打本は、その弱腰から報復に打って出なかった。広能は、岩井の発案で、殺された組員河西の葬式を行なうという名目で、全国各地から応援千六百人を集め、一気に山守組に攻め込もうとした。同年7月4日/打本が、山守系の武田組に位致され、山守に脅迫されたために、広能の計画を吐いてしまった。山守は早速、警察に密告する。同年7月5日/広能は別件容疑で逮捕され、明石組とその応援組員は呉から退去。ここに形勢は逆転し山守、福原が呉を支配するようになった。以後も、広熊組と槙原組との間に、血の応酬が相次いだ。同年8月下旬/岡島友次は、愚連隊川田組々長を金で買収し、山守勢と対決すべく決心をした。同年9月8日/岡島の動向をキャッチした山守は、組員吉井に、岡島を射殺させた。同年9月12日/打本組の谷口等が山守組のアジトに、義西会の藤田等が江田組事務所に、それぞれ爆弾を投げ込んだ。同年9月21日/命を狙われ憔悴した山守は、早川組のバーに身を隠していたが、そこにも打本組々員が殴り込み、山守はからくも逃亡した。いきり立つ打本組若衆たちは、山守・江田両組の組員たちと凄絶な市街戦を行ない、市民を恐怖のどん底に陥入れた。暴力団追放の世論が沸騰し、警察と検察当局は、ついに幹部組長一斉検挙に踏み切った。やがて、山守は逮捕された。一方、岩井は、広島に乗り込んで義西会を中心に陣営の再建に着手し始めるが、武田は、暴力団を糾合して、岩井の挑戦を真向から受けて立った。同年9月24日/明石組事務所を、武田組組員が爆破。明石組は、これを神和会の仕業と誤解して即座に報復したために、武田組と岩井組の間で、激烈な銃撃戦の火ブタが切って落された。かくして、広島抗争事件は、西日本をゆるがす大流血事件と発展してしまった……。死者17名、負傷者20余人を出した実りなき抗争。広能は、ひとり獄舎で深い虚しさを噛みしめていた……。


小倉一郎                      松方弘樹、小池朝雄

題名:仁義なき戦い 頂上作戦
監督:深作欣二
企画:日下部五朗
原作:飯干晃一
脚本:笠原和夫
撮影:吉田貞次
照明:中山治雄
録音:溝口正義
美術:井川健道
装置:近藤幸一
装飾:松原邦四郎
衣装:松本俊和
技斗:上野隆三
記録:田中美佐江
編集:宮本信太朗
音楽:津島利章
フィルム:富士フィルム
現像:東映化学
助監督:土橋亨
製作進行:伊藤彰将
スチール:藤本武
出演:菅原文太、梅宮辰夫、黒沢年男、松方弘樹、小林旭、田中邦衛、金子信雄、木村俊恵、中村英子、中原早苗、渚まゆみ、小池朝雄、山城新伍、加藤武、内田朝雄、小倉一郎、夏八木勲、八名信夫、成瀬正孝
1974年日本・東映京都撮影所/シネスコサイズ・カラー101分35mmフィルム
仁義なき戦い 頂上作戦 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


金子信雄、山城新伍                                               小林旭、中村英子

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