映画「黒部の太陽」


「黒部の太陽」三船敏郎

三船敏郎                                                   石原裕次郎

今回は熊井啓監督1968年公開「黒部の太陽」をピックアップする。
本作は、1962年に日活から独立し石原プロモーションを設立した石原裕次郎さんと1964年に東宝から独立し三船プロダクションを設立した三船敏郎さんの独立プロ二社の共同制作と劇団民藝の全面協力を得て1年以上の撮影期間を経て作られた。
電力会社やその下請け・関連企業に大量のチケットを購入して貰い観客動員に成功し、1968年の日本映画配給収入第1位(約16億円)、観客動員数は約730万人を獲得したそうだ。また本作の版権は石原プロモーションが所有し、石原裕次郎さんの遺言「映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」で永らくビデオ化されていなかった。
(石原プロモーション創立50周年の2013年3月にDVD、Blu-ray版が発売)


「黒部の太陽」石原裕次郎

樫山文枝                                                                高峰三枝子

三船敏郎、日色ともゑ                                           宇野重吉、寺尾聰

【ストリー】
関西電力は黒部川上流に第四発電所を建設するため、太田垣社長(滝沢修)総指揮のもとに社運をかけて黒四ダム工事に当たることになった。間組の国木田(加藤武)と熊谷組の下請会社の岩岡源三(辰巳柳太郎)は、ともに現場責任者の北川(三船敏郎)を訪れ、ダム工事の難しさを知らされた。源三の息子剛(石原裕次郎)は、トンネル掘りのためにどんな犠牲も省りみない源三に反抗し、家を出て設計技師として図面をひいていた。国木田はそんな剛と、北川の長女由紀(樫山文枝)と見合いさせようと提案して、源三を驚かした。昭和31年8月、世紀の大工事といわれた黒四工事は、大自然との闘いの火蓋を切った。9月に入って剛は偶然、由紀と会い、親しさを増していったが、彼女が父の北川の身を心配するのを見て、源三の様子を見に黒部に向った。源三はめっきりと体が弱くなっていた。北川の黒四にかける熱意にほだされた剛は父に代ってトンネル掘りの指揮をとることになった。こうして工事が始って半年、犠牲者はすでに16人を数え、難工事であることが現場の人たちに不安を抱かせ始めた。翌年の4月、北川たちが恐れていた事態が起った。軟弱な花岡岩帯にぶつかったのだ。5月に入ってすぐ、山崩れと大量の水がトンネルを襲った。この危機を切り抜けるため、色々な技術プランが検討されたが、工事は一向に進まなかった。そんな折りも折り、北川は次女の牧子(日色ともゑ)が白血病にかかって入院し、生命はあと一年と知らされたが、大仕事をかかえているので、娘のそばについているわけにはいかなかった。現場は労務者が一人、二人と去っていく状態で、彼らの士気は上らなかった。一方、太田垣はあらゆる手を尽して危機を乗り切るため莫大な金を投入、技術陣の科学的な処置と、北川や源三たちの努力が実を結び、その年の12月、ついに難所を突破。翌年11月、剛は由紀と結婚した。そして2月、北アルプスを抜いてトンネルが開通した。その瞬間を躍り上って喜ぶ労務者たちの中で、北川は牧子の死を知らせる電報に接し、激しく慟哭した。昭和38年3月、黒四ダムは多数の犠牲を出して完成した。その日はちょうど北川の停年退職の日であったが、北川や剛たちはダムの偉容に、無限の感動を覚えていた。


黒部の太陽

トンネル工事のシーンは、愛知県豊川市の熊谷組の工場内に再現セットが作られた。出水を再現する420トンの水タンクがあり、切羽(トンネル掘削の最先端箇所)の奥から、多量の水が噴出するシーン(上画像)では水槽のゲートが開かれると、10秒で420トンの水が流れ出し、俳優もスタッフも本気で逃げたそうだ。


辰巳柳太郎、武藤章生                                                佐野周二

題名:黒部の太陽
監督:熊井啓
企画:中井景
製作:三船敏郎、石原裕次郎
原作:木本正次「黒部の太陽」
脚本:井手雅人、熊井啓
撮影:金宇満司
照明:平田光治
録音:安田哲男、紅谷愃一
音効:杉崎友治郎
美術:平川透徹、山崎正夫、小林正義
編集:丹治睦夫
音楽:黛敏郎
現像:東洋現像所
製作補佐:銭谷功、小林正彦
製作担当:知久秀男
助監督:片桐直樹
色彩計測:宮崎秀雄
特別技術指導:熊谷組、笹島建設
協力:関西電力、間組、鹿島建設、熊谷組、大成建設、佐藤工業
スチール:飯高鋼
出演:三船敏郎、石原裕次郎、辰巳柳太郎、滝沢修、宇野重吉、寺尾聰、樫山文枝、日色ともゑ、川口晶、高峰三枝子、北林谷栄、二谷英明、山内明、志村喬、加藤武、大滝秀治、佐野周二、芦田伸介、岡田英次、鈴木瑞穂、下川辰平、下條正巳、佐野浅夫、清水将夫、武藤章生
1968年日本・三船プロダクション+石原プロモーション/シネスコサイズ・カラー196分35mmフィルム
黒部の太陽 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


黒部ダム

映画「男はつらいよ・葛飾立志篇」


渥美清、下條正巳、三崎千恵子、前田吟、倍賞千恵子、太宰久雄      樫山文枝(マドンナ役)

今回は山田洋次監督1975年製作「男はつらいよ・葛飾立志篇」をピックアップする。
第16作となる本作のロケ地は、山形県寒河江市、静岡県大瀬崎などで行われ、封切り時の観客動員は213万1,000人、配給収入は11億9,100万円だったそうだ。当時のロードショー入場料金は1,200円、併映は「正義だ!味方だ!全員集合!!(監督:瀬川昌治 出演:ザ・ドリフターズ、榊原るみ、キャンディーズ)」であった。


桜田淳子                                                           倍賞千恵子

【ストリー】
秋も深まったある日の午後。数カ月ぶりに寅(渥美清)は“とらや”に帰って来た。ところが、そこには山形から修学旅行で上京したついでに寅を訪ねに来ていた高校2年の順子(桜田淳子)がいた。寅は彼女を見るなり、おもわず「お雪さん!」と叫び、順子は目に涙をいっばいため「お父さん!」と叫んだ。寅は勿論のこと、さくらや(倍賞千恵子)、おいちゃん(下條正巳)、おばちゃん(三崎千恵子)はビックリする。実は順子は寅が17年前に恋焦がれた人--お雪の娘だったのだ。寅は毎年正月になると少しの金を添えて手紙を送っていたので、順子は、寅を本当の父親と勘違いしていたのだった。そのお雪がつい最近死んだ、と聞き、寅は歳月の流れをしみじみと感じた。とらやの人々がホッとしたのも束の間、「寅がまともに結婚していたらこの位の娘がいるのになあ」と愚痴るおいちゃんの言葉が原因で、怒った寅はまた旅に出てしまった。数日後、寅はお雪の墓詣りを兼ねて、山形を訪ねた。そこで寅は、寺の住職(大滝秀治)から、お雪の生前の不幸を聞かされた。彼女は学問がなかったために男に騙されたのだった。そして住職は、学問の必要な事を寅に教え、寅も晩学を決意した。一方、とらやには、御前様の親戚で大学の考古学教室に残り勉強を続けている筧礼子(樫山文枝)が下宿することになった。そんなところへ寅が帰って来た。明るく誰とでも気軽に口をきき、インテリぶらない礼子に、寅は次第に惹かれていき、勉強の方も彼女に教えてもらいながら真面目につづけた。また、礼子の恩師である、奇人だが天才肌の田所博士(小林桂樹)をも寅はすっかり気に入ってしまった。そんな寅がまた礼子に振られてしまうと心配したさくらだったが、寅は「礼子さんに色恋を感じたら失礼だ。彼女はもっと高い事を考えてる人で、結婚なんかするはずがない」と答えた。ところがある日、礼子は田所にプロポーズされた。礼子は何日も何日も思い悩んだ。そして、結婚の事で悩んでいる、と礼子の口から聞かされた寅は、相手が誰だか知らずに、大変なショックを受けた。礼子を恋愛の対象にするのは失礼だ、とは言ったもののやはり、彼女を愛していたのだった。寅は、またまた失恋、一人、旅に出た。だが、その頃、礼子は学問に専心するために、田所のプロポーズを断っていた……。
正月も間近の南国。寅と、寅と同じように礼子に失恋して旅に出ていた田所が、楽しそうに歩く姿があった。


小林桂樹、樫山文枝         三崎千恵子、渥美清、倍賞千恵子、樫山文枝、下條正巳

題名:男はつらいよ・葛飾立志篇
監督:山田洋次
企画:高島幸夫、小林俊一
製作:島津清、名島徹
原作:山田洋次
脚本:山田洋次、朝間義隆
撮影:高羽哲夫
照明:青木好文
録音:中村寛
調音:松本隆司
美術:出川三男、佐藤公信
編集:石井巌
音楽:山本直純 主題歌・唄:渥美清
フィルム:富士フィルム
現像:東京現像所
製作主任:内藤誠
製作進行:玉生久宗
助監督:五十嵐敬司
スチール:長谷川宗平
出演:渥美清、倍賞千恵子、樫山文枝、前田吟、下條正巳、三崎千恵子、太宰久雄、笠智衆、佐藤蛾次郎、桜田淳子、米倉斉加年、大滝秀治、小林桂樹、後藤泰子、谷よしの、戸川美子、吉田義夫、中村はやと
1975年日本・松竹/シネスコサイズ・カラー98分35mmフィルム
公式サイト
男はつらいよ・葛飾立志篇 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


太宰久雄、下條正巳、中村はやと、三崎千恵子       佐藤蛾次郎、渥美清