映画「豚と軍艦」


長門裕之

今回は今村昌平監督1961年製作「豚と軍艦」をピックアップする。
本作は、朝鮮戦争前後の日本を背景に、米軍基地の町(横須賀)を舞台に軍から排出される残飯で豚を飼育して荒稼ぎするヤクザが自滅するまでをシニカルに描いた内容だ。
今村昌平氏が言う重喜劇性が顕著に表現された作品になっている。


吉村実子                    吉村実子 ・ 山内明

撮影は日活の名匠姫田真佐久氏。当時新人だった吉村実子さんを囲む俳優陣が凄い。長門裕之・南田洋子、小沢昭一、中原早苗、丹波哲郎、加藤武、西村晃、殿山泰司、三島雅夫、各氏の演技はその後の日本映画を支えた事は言うまでもない。
今村昌平監督は、本作後に「にっぽん昆虫記(1963年)」「赤い殺意(1964年)」と佳作が続き、1975年に横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を開校する。私の知り合いにも卒業生は多い。「ゼブラーマン(2004年)「SUKIYAKI WESTERN ジャンゴ(2007年)」の三池崇史監督、「踊る大捜査線(1997年)」の本広克行 監督も卒業生だそうだ。


山内明 ・ 殿山泰司

その後、今村昌平監督の主な作品は「復讐するは我にあり(1979年)」「ええじゃないか(1981年)」「楢山節考(1983年)カンヌ映画祭パ ルムドール賞を受賞」 「黒い雨(1989年)」「うなぎ(997年)」そして2002年「11’09”01/セプテンバー11 日本編」を最後に2006年5月に79歳で亡くなられている。
また本作の助監督としてタイトルされている浦山桐朗氏は、大竹しのぶさんのデビュー作「青春の門(1975年)」「青春の門・自立篇(1976年)」、吉永小百合さん主演「夢千代日記(1985年)」で有名な監督だったが、1985年10月に他界されている。


丹波哲郎

【ストリー】
米海軍基地。遂に軍艦が入ると、水兵相手のキャバレーが立ちならぶ町の中心地ドブ板通りは俄然活気を呈してくる。ところが、そんな鼻息をよそに青息吐息の 一群があった。当局の取締りで根こそぎやられてしまったモグリ売春ハウスの連中、日森一家だ。ゆきづまった日森一家は、豚肉の払底から大量の豚の飼育を考 えついた。ハワイからきた崎山が基地の残飯を提供するという耳よりな話もある。ゆすり、たかり、押し売りからスト破りまでやってのけて金をつくり、彼らの “日米畜産協会”もメドがつき始めた。流れやくざの春駒がタカリに来た。応待に出た幹部格で胃病もちの鉄次の目が光った。たたき起されたチンピラの欣太は 春駒の死体を沖合まで捨てにいった。
「欣太、万一の場合には代人に立つんだ。くせえ飯を食ってくりゃすぐ兄貴分だ」という星野の言葉に、単純な欣太はすぐ その気になった。彼は恋人の春子と暮したい気持でいっぱいなのだ。
春子の家は、姉の弘美のオンリー生活で左うちわだったが、彼女はこの町のみにくさを憎悪 し、欣太には地道に生きようと言って喧嘩した。ある夜、豚を食った一家の連中は、春駒の死体をその豚に食わせたと聞き、口をおさえてとび出した。鉄次は血 まで吐いた。鉄次の入院で日森一家の屋台骨はグラグラになった。

会計係の星野が有金をさらってドロンし、崎山も残飯代を前金でしぼり取るとハワイに逃げて しまった。鉄次の見立ての結果は、ひどい胃癌で三日ももたないという。鉄次は殺し屋の王に殺してくれとすがりついた。欣太とはげしく口喧嘩をした春子は町 にとび出し、酔った水兵になぶりものにされた。日森一家は組長の日森と、軍治・大八とに分裂してしまった。両者とも勝手に豚を売りとばそうと企み、軍治た ちは夜にまぎれての運搬を欣太に命じた。鉄次の診断はあやまりで、単なる胃潰瘍だったが、それを知る前に王に殺されるのを知って血を吐いて倒れた。欣太は 豚をつみこむ寸前に先まわりした日森らにつかまってしまった。
豚をのせ走り出す日森のトラック群。それを追う軍治らのトラック。六分四分で手を打とうとい う日森だったが、欣太はもうだまされないと小型機関銃をぶっ放した。ドブ板通りには何百頭という豚の大群があれ狂った。誰もかも、豚の暴走にまきこまれ、 踏みつぶされた。
・・・数日後、一人になった春子は家出した。基地の町では、相変らず水兵と女と客引きがごったがえしていた。

題名:豚と軍艦
監督:今村昌平
脚本:山内久
撮影:姫田真佐久
照明:岩木保夫
美術:中村公彦
録音:橋本文雄
編集:丹治睦夫
音楽:黛敏郎
助監督:浦山桐朗
出演:長門裕之、吉村実子、三島雅夫、小沢昭一、中原早苗、丹波哲郎、山内明、加藤武、殿山泰司、西村晃、南田洋子
1961年ブルーリボン賞・作品賞受賞作品
1961年日本・日活/シネスコサイズ・モノクロ108分35mmフィルム
豚と軍艦 HDリマスター版 [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

映画「無理心中日本の夏」

無理心中 日本の夏

今回は大島渚監督1967年製作「無理心中 日本の夏」をピックアップする。
主演は「絞死刑(1968年)」に出演した桜井啓子さん[本作新人]と大島監督作品のベテラン俳優陣の佐藤慶、殿山泰司、戸浦六宏、小松方正、各氏が際立った演技で支えている。
異色に映るのが田村正和氏の若々しい姿だ。こんな時代もあったのだ。
作品リスト


桜井啓子                      佐藤慶

撮影は大島渚監督作品を数多く担当された吉岡康弘氏。照明は黒沢明監督作品「影武者(1980年)」「乱(1985年)」「夢(1990年)」「八月の狂詩曲(1991年)」を担当された佐野武治氏である。
私が撮影を担当した1994年製作のTVCF「井村屋・あずきバー(監督:横田真治氏[制作:ヴィス])」で佐野武治氏に照明を担当して戴いた。打ち合わせの時に黒沢組の逸話をスタッフ全員で拝聴したのを憶えている。その後お会いしないまま、2011年3月に他界(享年80歳)された。

首都高速道路と思われるシーン(上左写真)は、今では建て直されて見られない風景だが路線の開通前に撮ったのだろう。本編前半はアラン・レネを意識した幾何学的な構図、後半は戸田重昌氏の美術セットが冴える画になっている。


田村正和

【ストリー】
男を求めないではいられない十八歳のネジ子は、ある町でオトコを拾い、海岸に誘ったが、彼はしきりに死にたがり、ネジ子の裸に無関心だった。そこへ数人の やくざが現われ、砂の中から鉄砲や刀を掘り出した。その一部始終を見ていたネジ子とオトコは彼らに捕えられ、廃屋の一室に監禁されてしまった。この廃屋は やくざがデイリの時に使う集合場所だった。
ネジ子とオトコの部屋には一人のやくざを刺し殺した鬼と名乗る男と、ライフル銃を盗みに侵入してやくざたちの兄貴分おにいきんに捕った少年がいた。二人はしきりに人殺しの衝動に駆られていた。一方、やくざの助っ人として、拳銃を持ったおもちゃ、マイクロテレビを手にしたテレビという男たちがこの家に集ってきていた。彼らは何事か起るのをじっと待っていた。逞しい男たちを見てネジ子は盛んに媚を売ったが、誰も彼女を抱こうとしなかった。


殿山泰司                      田村正和

そんな時、外国人のライフル魔だ逃げ回って、町は警官隊の厳重な警戒のもとにあると、テレビが報じた。オトコは恐怖に駆られ、おもちゃに殺してくれと頼んだ。
しかし、おもちゃが射った相手はおにいさんだった。それを見た少年は外へとび出し、二人の警官を射って帰ってきた。
そんな異常は雰囲気の中で、ネジ子は三人の男と寝た。
その三人は、外国人と一緒に戦争をするんだ、と叫ぶ少年に反対して殺され、結局、ネジ子、少年、オトコ、テレビ、おもちゃの五人は外国人のたてこもってい る場所に行った。しかし、警官の包囲する中で仲間割れから、テレビ、おもちゃ、少年、それに外国人が死に、ネジ子とオトコの二人だけが残った。二人は警官 隊に向って猛然と射撃を浴びせ、オトコは弾丸の雨の中で初めてネジ子を抱いた。
ネジ子が「心中みたいだね」と言った時、オトコは「うん、無理心中だ」と答えたが、その瞬間、二人に弾丸が当った。血の海の中で、二人は笑って死んでいった。


小松方正                       戸浦六宏

題名:無理心中 日本の夏
監督:大島渚
製作:中島正幸
脚本:田村孟、大島渚、佐々木守
撮影:吉岡康弘
照明:佐野武治
美術:戸田重昌
録音:西崎英雄
編集:浦岡敬一
音楽:林光
出演:桜井啓子、佐藤慶、殿山泰司、戸浦六宏、小松方正、田村正和
1967年日本・松竹・創造社/シネスコサイズ・モノクロ96分35mmフィルム
無理心中 日本の夏 [DVD]
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

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