映画「コント55号とミーコの絶体絶命」

コント55号とミーコの絶体絶命コント55号とミーコの絶体絶命
コント55号(坂上二郎、萩本欽一)                   由美かおる

今回は野村芳太郎監督1971年製作「コント55号とミーコの絶体絶命」をピックアップする。
本作は、当時人気沸騰中のコント55号(坂上二郎、萩本欽一)と野村芳太郎監督のコンビによる第7作である。

【東宝製作】
1968年「コント55号 世紀の大弱点」監督:和田嘉訓
1969年「コント55号 人類の大弱点」監督:福田純
1969年「コント55号 俺は忍者の孫の孫」監督:福田 純
1969年「コント55号 宇宙大冒険」監督:福田 純

【松竹製作】監督:野村 芳太郎
1968年「コント55号と水前寺清子の神様の恋人」
1968年「白昼堂々」※ゲスト出演
1969年「コント55号と水前寺清子のワン・ツー・パンチ 三百六十五歩のマーチ」
1969年「チンチン55号ぶっ飛ばせ!出発進行」
1970年「こちら55号応答せよ!危機百発」
1970年「俺は眠たかった!!」※製作・監督・脚本・音楽・主演:萩本欽一(浅井企画・松竹)
1970年「コント55号と水前寺清子の大勝負」
1971年「コント55号とミーコの絶体絶命」
1971年「泣いてたまるか」※主演:坂上二郎 監督:宮崎晃
1972年「初笑いびっくり武士道」

コント55号とミーコの絶体絶命コント55号とミーコの絶体絶命
太地喜和子、萩本欽一                  財津一郎
コント55号とミーコの絶体絶命コント55号とミーコの絶体絶命
小松政夫                        三原葉子

【ストリー】
坂本次郎(坂上二郎)・金作(萩本欽一)の兄弟は湘南市役所なんでもやる課勤務である。父は戦死、母は台風で死亡。その時次郎は16歳、金作は8歳であった。次郎は金作の手をひいて上京、苦労の末、金作を大学にやった。次郎は、世の中は金だという信念を持っているだけにケチである。従って女には縁がない。一方、金作はなかなかのプレイボーイで、ある日新宿のゴーゴーバーで県会議員の妾腹の娘田所桃代(太地喜和子)と知り合った。翌日、金作は市役所の亀山助役(花澤徳衛)に呼ばれた。桃代が結婚したいというのだ。助役や沼田課長(財津一郎)は、自分たちの昇進のチャンスとばかりこの結婚を急がせた。15年勤務の次郎を通り越して金作は係長に抜擢された。金作はふとしたキッカケで知りあった中川秀子(由美かおる)という、病身の母(浦里はるみ)と妹のために昼間はガソリン・スタンド、夜はゴーゴーバーで働きながら家計を切りまわしている溌刺とした心根の優しい娘にすっかり心を奪われてしまった。ある日次郎は胃に激痛を感じた。そして、勝手に癌だと思い込んだ。金作も、他人のことを話している杉本医師(なかにし礼)の言葉を聞き違え、兄は癌だと錯覚してしまった。その日から金作は一生懸命兄につくした。次郎は余命いくばくもない人生を楽しもうと500万円の預金を解約した。そんなある日、次郎は、ポケットに石をつめ込んで海に身を投じたが勤め帰りの秀子に助けられた。気がついた時は病院のベットの上で、秀子が母の手術代に困っていることを知り金をだそうとしたが、300万円余りの大金は自殺行の時、波にさらわれてしまった。兄弟が相談した手術代の捻出方法は、このまま次郎が死んだことにして香典を集めることだった。数日後、通夜の客たちは香典を持って集まった。そんな夜でも桃代の甘い攻撃は続いた。金作が「不謹慎な!」と桃代を殴り飛ばしたことから押し入れに隠れていた次郎が飛びだして大騒ぎとなった。かくして兄弟の金集めの苦心は水泡にきしたのである。しかし、金作は、次郎が秀子を愛していることを知ると身を引く決心をした。やがて、次郎が癌でないことが判明した。それも自殺行のあとの入院でわかったもので次郎も知っていたことである。金作はむしょうに腹が立ち次郎にかみついたが、秀子のとりなしで仲直りした。それから数カ月後、「次郎ラーメン」の屋台が店開きした。商売は順調であった。そして、秀子の母の手術も、兄弟の苦面した金で無事に終った日、秀子が選んだフィアンセは兄弟のどちらでもなく杉本先生だったのだ。二人のショックはあまりにも大きかった。

コント55号とミーコの絶体絶命コント55号とミーコの絶体絶命
花澤徳衛                      コント55号(萩本欽一、坂上二郎)   
コント55号とミーコの絶体絶命コント55号とミーコの絶体絶命
倍賞美津子                           田中邦衛
コント55号とミーコの絶体絶命コント55号とミーコの絶体絶命
太地喜和子                    坂上二郎、和田アキ子

題名:コント55号とミーコの絶体絶命
監督:野村芳太郎
製作:杉崎重美、浅井良二
脚本:野村芳太郎、山根成之、大西信行
撮影:川又昂
照明:三浦礼
録音:栗田周十郎
調音:松本隆司
美術:重田重盛
装置:中村良三
装飾:印南昇
衣裳:東京衣装
編集:浜村義康
現像:東洋現像所
音楽:中村八大 挿入歌:由美かおる「地球の裏側」「タバコの火を消して」「風に吹かれて」 和田アキ子「天使になれない」
製作主任:吉岡博史
製作進行:宗本弘美
助監督:山根成之
スチール:赤井博且
出演:坂上二郎、萩本欽一、由美かおる、太地喜和子、花澤徳衛、財津一郎、小松政夫、倍賞美津子、三原葉子、田中邦衛、三木のり平、武智豊子、浦里はるみ、佐々木梨里、和田アキ子、なかにし礼
1971年日本・松竹/シネスコサイズ・カラー88分35mmフィルム
コント55号とミーコの絶体絶命 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。

コント55号とミーコの絶体絶命コント55号とミーコの絶体絶命
浦里はるみ、由美かおる              コント55号とミーコの絶体絶命

映画「仁義の墓場」


「仁義の墓場」多岐川祐美

渡哲也                      渡哲也、多岐川祐美

今回は深作欣二監督1975年製作「仁義の墓場」をピックアップする。
本作は、日活アクションスターとして活躍した渡哲也さんの東映初主演作品になる。
内容は、戦後の混乱期、暴力と抗争に明け暮れる新宿周辺を舞台に強烈に生き、そして散った石川力夫(実在の人物)を描いたもので、他の任侠作品とは明らかに違う。クランクインが1975年1月からの寒い時期で、病み上がりの渡哲也さんは、体調が悪化し後半は点滴を打ちながら約3週間で撮影を終えたそうだ。

【訃報・追記】
ドラマや映画で存在感を示した俳優、渡哲也さんが2020年8月10日に肺炎で死去していたことが8月14日、分かった。78歳だった。この日、近親者のみで密葬が営まれた。複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。2020年6月、石原プロモーション創業者でもある俳優、石原裕次郎さんの生前の映像と共演した宝酒造CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」のナレーション録りを自宅で行ったのが最後の仕事だった。7月27日に完成作を見た際には何度もうなずき、書面で「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります」とコメントを寄せた。その10日前には、渡さんが2代目社長を務め、現在相談役を務める石原プロが来年1月に解散することを発表。渡さんは周囲に「時代の流れで新しい人たちが出てくる。我々は一歩下がって生きていかないと」と話していた。裕次郎さんが亡くなる直前、渡さんに託した「石原プロを畳んでくれ」という遺言を果たして天国へ旅立った。渡さんは11941年に島根・安来市に生まれ、兵庫・淡路島で育った。青学大在学中の1964年、浅丘ルリ子(80)が主演した映画「執炎」の相手役に実弟、渡瀬恒彦さん(のちに俳優、2017年死去、享年72)がこっそり応募。それがきっかけで日活にスカウトされ、1965年に映画「あばれ騎士道」の主演で俳優としての一歩を踏み出した。また、同年「純愛のブルース」で歌手デビューも飾った。裕次郎さんとはデビュー前、日活の食堂で初対面した際に励ましの言葉をもらい感激。給料の交渉までしてくれたことを知って、さらに心酔し、背中を追い続けた。日活がロマンポルノ路線へ転換した1971年には、裕次郎さんが設立した石原プロへ迷うことなく入社。同プロ制作の日本テレビ系「大都会」シリーズ、テレビ朝日系「西部警察」では角刈りサングラスの大門圭介部長刑事を演じ、巨悪との銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンの数々は国民をくぎ付けにした。歌手としても、1973年に「くちなしの花」が150万枚の大ヒットを記録し、1974年と1993年のNHK紅白歌合戦に出場して同曲を歌った。
2020,8/14,19:20配信サンスポ


芹明香、渡哲也                    仁義の墓場

ハナ肇                        成田三樹夫

【ストリー】
昭和21年。新宿には、テキ屋系の四つの組織が縄張りを分けあっていた。石川力夫(渡哲也)の所属する河田組は、経営の才にたけた河田修造(ハナ肇)を組長に、組員300名を数え、野津組に次ぐ勢力を誇っていた。兄弟分の今井幸三郎(梅宮辰夫)、杉浦(郷英治)、田村(山城新伍)らを伴った石川は、中野の愚連隊“山東会”の賭場を襲い金を奪った。山東会の追手から逃がれ、忍び込んだ家で、石川は留守番をしていた娘、地恵子(多岐川裕美)を衝動的に犯した。この事件をきっかけに、山東会と石川たちの抗争が起こり、石川らが山東会を壊滅させ、同時期に今井組が誕生した。粗野で兇暴な石川に手を焼く河田は、最近、縄張りを荒らす、池袋親和会の血桜の政こと、青木政次(今井健二)を消すように示唆した。石川は、政の情婦夏子(衣麻遼子)を強姦し、駈けつけた政の顔をビール瓶でめった突きにした。政の報復のために、続々と親和会の兵隊が新宿に進出して来た。だがこの抗争は、野津組々長の仲介で大事には致らなかった。それから間もなく、杉浦が野津組の幹部・岡部の妹と結婚した事で野津の盃を受けた。一方、相変らず無鉄砲な石川は、野津に借金を断わられたために、その腹いせに野津の自家用車に火をつけた。岡部は杉浦に石川殺しを命じるが、杉浦は失敗。その夜以来、杉浦とその女房は東京から消えた。この一件で河田は石川に猛烈な制裁を加えたが、逆上した石川は河田を刺してしまった。一時は今井の許に身を隠した石川だが、今では石川の女房になっている地恵子が彼の身を案じ警察に報せたために、石川は逮捕され、1年8:ケ月の刑を受けた……。出所した石川は、河田組から10年間の関東所払いになっているため大阪へ流れた。そして1年後。ペイ患者となり一段と凄みの増した石川が、今井組の賭場に現われた。だが、石川は、一番信頼していた兄弟分の今井からも説教され、狂ったように今井を撃ち殺した。一匹狼となった石川は、自殺を企るが死に切れず、警察病院で治療を受けた後、殺人及び殺人未遂で10年の刑に服した。昭和26年1月29日、地恵子が自殺した。それは胸部疾患の悪化した石川が病気治療のため仮出獄する3日前の事だった。地恵子の骨壷をぶら下げ、骨をかじりながら歩く石川の姿は、まるで死神のようだった。そして神野(前川哲男)、松岡(室田日出男)、河田の邸にまで出向き金をせびり取った石川は、その金で自分の墓を建てた。昭和29年1月29日、石川力夫は府中刑務所において、29歳の短い一生を自らの手で終えた。その日は奇しくも、亡き妻・地恵子の三回忌でもあった。


梅宮辰夫                        田中邦衛

題名:仁義の墓場
監督:深作欣二
企画:吉田達
原作:藤田五郎「関東やくざ者」
脚本:鴨井達比古、松田寛夫、神場史男
撮影:仲沢半次郎
照明:大野忠三郎
録音:小松忠之
美術:桑名忠之
装置:小早川一
装飾:米沢一弘
美粧:入江荘二
美容:石川靖江
衣装:長谷稔
擬斗:日尾孝司
記録:山内康代
編集:田中修
音楽:津島利章
現像:東映化学
進行主任:東一盛
演技事務:石川通生
助監督:小平透
スチール:加藤光男
出演:渡哲也、多岐川祐美、芹明香、池玲子、梅宮辰夫、郷鍈治、山城新伍、ハナ肇、室田日出男、田中邦衛、成田三樹夫、曽根晴美、安藤昇、今井健二、衣麻遼子、前川哲男
スタント:春田純一
1975年日本・東映/シネスコサイズ・カラー93分35mmフィルム
仁義の墓場 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


室田日出男、曽根晴美                  安藤昇

渡哲也                   スタント:春田純一 (15メートルのダイビング)

映画「帰ってきた若大将」


アグネス・ラム、加山雄三               坂口良子

今回は小谷承靖監督1981年製作「帰ってきた若大将」をピックアップする。
加山雄三さんのデビュー20周年を記念して作られた本作は、若大将シリーズの第18作で最終作である。
クライマックスシーンの舞台は、1980年に行われた実際のニューヨークシティマラソンで行われ、3班体制で撮影されたそうだ。余談になるが、私が、撮影助手だった本作公開後の翌年(1982年)に初めてハワイ・ロケに行った。それは、日清カップヌードル(出演:ザ・タイガース[復活結成])のCF撮影だったが、現地撮影コーディネーター・スタッフにアグネス・ラムさんが参加していたので驚いたのを思い出す。しばらくコーディネーターを続けていたそうだ。

※ザ・タイガースは1971年に解散しているが、1982年~1983年まで「ザ・タイガース同窓会」として岸部一徳、森本太郎、加橋かつみ、沢田研二、岸部シローの5名で再結成した。


「帰ってきた若大将」坂口良子

田中邦衛                        萬田久子

中真千子、有島一郎                 松崎真、樹木希林

【ストリー】
西太平洋、サザンクロス諸島上空をヘリコプターで取材していたTVプロデューサー皆川純子(坂口良子)が機内から放り出された。そこへ、セスナ機から一人の男がスカイ・ダイビング、純子を捉えパラシュートで降下。その男こそ、御存知若大将、田沼雄一(加山雄三)。今、サザンクロス島の大統領の片腕、自治政府顧問になっている。その島は近く平和国家としてアメリカから独立しようとしていた。東京に戻った純子は取材したフィルムにクレームがつき、スポンサーである三丸商事副社長、石山新二(田中邦衛)こと青大将に抗議に出かけた。そこは青大将、純子を見るなり、クレームを撤回、デートに誘った。その晩、青大将が純子にキスしようとしたとき、そこへ若大将が通りかかった。若大将に飛びつく純子、青大将はガックリ。雄一はおばあちゃんの七回忌の法事で帰国していたのだ。法事を済ませた夜、大統領から雄一に国際電話が入り、島からアメリカに向かう使節団の目的が達成するようニューヨークで外務書記官のフローラ(アグネス・ラム)と打ち合せをするようにとのことだった。ニューヨークへ飛ぶ雄一。一方、青大将は石油買付けのために書いた中東宛の手紙を、アメリカのメジャー系石油会社のリーガン社長に出してしまった。手紙を取り戻そうと、青大将もニューヨークへ向かう。郵便車を追う青大将は、途中で強盗に会い、身ぐるみ、車を盗まれてしまう。若大将はフローラと会ったが大統領補佐官シュナイダーと連絡がとれず、仕事は難行。そこへ青大将の捜索を頼まれた。ニューヨーク・シティマラソンの取材に来ていた純子は、ホテルで仲の良い雄一とフローラに出会い、嫉妬し、ホテルを出てヨットで暮し始めた。青大将は何とかリーガン社長の別荘に辿りつき、手紙を取り戻すが、パトカーに追われ、偶然、純子のヨットに逃げ込んだ。雄一はシュナイダーがシティマランンに参加すると聞き、セントラルパークで練習中のところを接近した。そこで雄一はマラソンに勝てば使節団の意向を大統領に伝えると、シュナイダーに約束させた。一万数千人が参加するマラソンで、雄一は見事にシュナイダーを破るのだった。


「帰ってきた若大将」坂口良子

賀原夏子                     田中邦衛、田崎潤

題名:帰ってきた若大将
監督:小谷承靖
製作総指揮:渡辺晋
製作:田中壽一、恩田光
脚本:田波靖男
撮影:上田正治
照明:望月英樹
特機:福田喜平、高原定
録音:田中信行
音効:東宝効果集団
整音:東宝録音センター
美術:薩谷和夫
大道具:小川峰雄
装置:高橋儀三
小道具:佐々木庄次
電飾: 田村正弘
衣裳:川崎健二
結髪:中尾さかゑ
化粧:藤田初美
記録:小林孝子
編集:池田美千子
音楽:弾厚作、森岡賢一郎 主題歌:加山雄三「この愛いつまでも」
撮影機材:パナビジョン
現像:東洋現像所
エクゼクティブ・プロデューサー:池瑞直亮(加山雄三)
アシスタントプロデューサー:田久保正之、中沢敏明
製作担当:橋本利明
製作進行:林茂里穂
助監督:岡田文亮
監督助手:米田興弘
撮影助手:古山正、五十畑幸勇、山田健一
照明助手:中村和夫、斉藤薫、蝶谷幸士、入口正平、南仁、大澤暉男
録音助手:斉藤禎一、近田進、膳師豊
美術助手:櫻木晶
大道具助手:鈴木栄二
製作宣伝:奥田和之
演技事務:橘田捷成
スチール:橋山直己
出演:加山雄三、坂口良子、田中邦衛、アグネス・ラム、有島一郎、江原達怡、中真千子、田崎潤、萬田久子、樹木希林、賀原夏子、なべおさみ、山本紀彦、松崎真
1981年日本・加山プロモーション+東宝/ビスタサイズ・カラー99分35mmフィルム
帰ってきた若大将 -DVD-
本作はゲオ宅配レンタルでご覧になれます。


帰ってきた若大将                     田中邦衛

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